前回、「何でも鑑定団」の次週のテロップを見て半分期待を持って「まさかマグリット人形?」と書いたが登場したのは何とまさかのマグリット人形で驚いた。 過去「幻のマグリット人形をさがせ」とか「見えてたものを確かめに」「マニアエキスポ マグリット兄弟」など書いてきたけど、まさかテレビで見る事が出来るとは。 大体「大阪万博の不気味な」ものと言えばせんい館にあったマグリット人形しかないけど、あの人形をテレビに出して良いのかと思った。 布を被され登場した四谷シモン24才の時の作「ルネマグリットの男」。通称マグリット人形或いは、せんい館おじさん。「お宝オープン!」と布を取ってみれば、「おぉぉぉ」と、どよめく会場。 紛れもなく、そこに立っていたのは大阪万博せんい館のマグリット人形。まさか地上波画面で見る事が出来るなんて!感無量だ。 一体マグリット何号なんだ?4体の現存が確認出来ているけど依頼人は東京の方。えっ?まさか5体目のマグリット人形? 公式記録では20体、シモンさんの著書では15体製作されたとするマグリット人形。当時の館内の写真を見ると13体までは確認出来る。 実際に私が実物を見た順番に番号を付ければ2000年に見た大阪市平野区のテーラーの店頭に置かれたものがマグリット1号。 2007年のマニアエキスポに展示された神戸の方所有のものが2号。2012埼玉、2015東京、2018千葉で展示されたビリケン商会さん(以前はお店でも展示された)所有のものが3号。香川県四谷シモン人形館に展示してあるものが4号となる。 その他、万博閉幕後岡山のクラボウ記念館に展示してあった幻5号。千里中央の洋品店の前にあったとされる幻6号。平野区のテーラーには当初3体あったそうで内部を調べる為に壊してしまった幻7号と知人に譲ったと言う幻8号がある。 何しろ皆同じ(多分)姿をしているのでどこかに番号でも書いていない限り、どれがどれだか見分けがつかない。 気になる出処は?「神戸の友人から3年前に100万円で購入した。友人は蚤の市で買ったそうだ。」との事。蚤の市と言えば2007マニアエキスポで展示されたマグリット2号である事が濃厚だ。 後日、関係者から裏付けとなる証言を得た。よって鑑定団に出たものは”私にとっての”マグリット2号と同一のもの。残念だが新たな発見マグリット5号では無かった。 さていよいよ鑑定。果たして結果は?依頼人は購入価格の100万円を付けていた。 何と驚きの五百万円の評価額。高額だけど当然の金額だろう。もし私が鑑定師だったら更に上の金額を付けていただろう。 2019年秋EXPO70パビリオンで開催されたイベント、万博遺跡のその後を追いかける「大阪万博ビフォーアフター展」では私の写真も数多く展示して頂いた。 現存する4体のビフォーアフターも紹介され、その中のマグリット1号の写真は私が撮影したもの。 左は2007年マニアエキスポでのマグリット2号。 ビフォーアフター展での2号のキャプションを抜粋すると「1990年梅田で映画の帰りに、お初天神の境内をのぞくと、そこにはかつて大阪万博のせんい館にあった人形が立っているではないか!愕然(がくぜん)として見に行くと、それは恒例の蚤の市で”平野の業者”が持ってきたものでした。 ハトの糞が肩口にかかっていたとは言え、これは即決で購入。神戸まで運んでもらいました。その後阪神大震災で左腕が脱落、指も折れたが修理して家に置いてあります。 当時は何かボソボソと喋っているというギミックがあり(胸の中にテープレコーダーが入っていたと思われる)そのため音出し用の穴がシャツの下に空いています。テープレコーダーの電池は頭が外れたので、そこから替えていたのでしょうが今は間違って接着してしまったので、もう取れません。帽子正面のレーザー光線あやとりミラーは買った時には無かったので後から足していますが塗装や布などは1970年当時のものです。」 左は平野区のマグリット1号。初めて見た2000年は店の外に立っていた。この頃は未だデジカメで撮ってない。 2号のつづき...マニアエキスポ当時は帽子のあやとりミラーは付いておらず写真の様に小さな穴が空いていた。いっしょに撮った写真では直した指も確認出来たし左手肩口には、鳩の糞の跡らしき白い汚れが付いていた。 しかし...1990年と言うと万博開催から20年。その間この2号は何処に?新たな疑問が浮かんできた。 人形浄瑠璃、ゆかりの地に立っていた大阪万博ゆかりの人形。それは”平野の業者”が持ってきたと言う....平野区...それはもしや前述した平野区のテーラーに持ち込まれた3体の内の1体...知人に譲ったと言う幻の8号? マグリット2号は幻の8号と同一の個体なのか? 写真のキャプションを読んで何が凄いって...万博20年。何気に立ち寄った蚤の市で遭遇したせんい館の人形に即反応、即購入したと言う事。私がもしマグリット人形に遭遇したとしても購入まで行くかどうか? この人形を所有するには相当な覚悟が必要だ。不気味なマグリットと共に暮らす覚悟。大きすぎるので押入れに入れる事は出来ず部屋に置くことになるだろう。朝のおはよう。帰った時のただいま。夜のお休み。マグリット人形を所有すると言う事はマグリット人形と共に生きると言う事。 左写真 店内で撮影させて頂いたマグリット1号。2007年11月撮影。 放送の数日後、東京で万博イベントが開催された。2007当時マニアエキスポの後、展示してあったマグリット人形をある方が買うかも知れないって話を聞いた事を憶えていた。 ある方とはイベントで万博映像を解説される橋爪 紳也さん。私よりずっと前に万博遺跡を追いかけた方。博覧会、大阪に関する書籍を何冊も出し、2025大阪万博誘致に尽力された。 「07年のマニアエキスポに展示されたマグリット人形が今週の何でも鑑定団に出てきたんですが当時先生が購入する予定があったって話を聞いた事があるんですが、どうだったんですか?」 おっしゃられた返事に驚いた。「あぁあれね。僕の友人が蚤の市で10万円で買ったは良いけれど置き場が無くて10年位、僕の研究室で預かっていた。」 何と言う衝撃の証言。結局購入はしなかったけれど、10年もマグット人形と共に研究室で過ごされたとは!つまり朝、研究室に来ると「おはよう」。帰る時は「じゃ。また明日 留守は頼む」ってやってたかも知れなかったのだ。マグリットと共に歩んだ10年。研究室を人形が出ていく時は、寂しかったのかなぁ? 反射して見にくいけど、やはり2007年の撮影。店は約13年前に閉店したと言う。13年前...つまり2007年。ガラスに貼られた”売りつくし”の文字が確認出来るだろうか? 洋品店店内に立つ人形のシュールな最終光景。2015年、元店主は人形と共に新聞取材を受けている。あれから更に5年。マグリット人形は未だいるのだろうか? 記事では四谷シモンさんと横尾忠則さんにも取材している。シモンさんは「そんな風に残っているなんて奇跡」と述べ横尾さんは「僕も工事作業員の人形を20体ほど作った。当時は作品として意識してなかった。あれも残っていればな。シモンさんが羨ましい」とコメントしている。 せんい館は横尾さんプロデュースになっているけど、どこまでが横尾さんなのかハッキリ解らなくて、この工事作業員の人形も横尾さんって明記した資料を見た事がなかった。この記事で御本人がコメントしているので横尾作品と確定できた。そもそも、この人形はせんい館の一部と考えればもっともな話でもあった。 20体ほど作ったと言う「赤い工事作業員」。本当に1体も残っていないのだろうか?誰かが持って帰っていても不思議じゃない。実は横尾さんの処に万博閉幕後1体戻っているけど完璧に忘れているって事ないだろうか? いつか「何でも鑑定団」で「大阪万博 幻の横尾作品」なんてタイトルで出てこないかなぁ。こう書いてくると何処かに1体位残っている様な気が本当にしてきた。新たな課題が見つかった。タイトルは「幻の大阪万博せんい館 赤い工事人形を 追え!」だ。 07 マニアエキスポの様子はこのあたり。 #
by banpakutantei
| 2020-03-06 00:42
| 万国博 岡本太郎
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関東で日曜昼の再放送されている「何でも鑑定団」。前回の放映の横と下に出た通常版の予告テロップ。 「大阪万博に展示された不気味なお宝とは?」 これまでも幾つかの万博お宝が出たし、見逃したもの、出た事自体知らないものも 結構あると思うけど一番印象に残っているのは東京都稲城市のスーパーレジン工業で製作された太陽の塔 現在の顔の原型。あれ一体幾らだったかなぁ? 岡本太郎がその原型から作った発砲スチロールの原型を一心不乱に削っている動画が有名だ。 大阪万博の顔である太陽の塔。その正面の顔と言えば顔のなかの顔。”顔”中”顔”。 製作した建物は未だ残っているらしい。その場所はまさに歴史の舞台。万博遺跡と言うよりも万博史跡。これは太陽の塔内部、生命の樹を作った工場などにも言えるだろう。 しかし...不気味なお宝って何なのだろう?あっ、まさか せんい館のマグリット人形?まさか..ね。解るのはテロップで予告するレベル、次回放送の目玉って事。楽しみ。 #
by banpakutantei
| 2020-02-18 13:46
| 万国博
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2019の元旦番組を振り返る2回目。「地底の太陽」の捜索は続く。解体業者の証言により1977年頃神戸市立王子動物園内の県の庁舎で目撃され県庁舎解体の1984年頃何処かに消えてしまったと言う。別の情報では「地底の太陽」は建設予定の美術館に展示される予定で引取られたそうだ。 結局、美術館建設の予定は頓挫し保管されていた「地底の太陽」は庁舎に放置された。1984年庁舎の解体と共に行方不明となった。行方不明と言うが庁舎の廃材と共に処分された。そんな経緯なのだろうか? その跡地には動物科学資料館がオープンしたそうだ。未だ探せていないが1972年の朝日新聞に「地底の太陽」の記事があるそうだ。その記事に保管先の具体的記述があるのではないかと思う。 関係者からは「地底の太陽」のフレアと呼ばれる物体の目撃情報も出た。フレアとは「地底の太陽」の顔の周りから出ている金のヒダヒダ。太陽の塔に関する物との証言から「地底の太陽」の事だろう。 庁舎解体時に出た廃材は産業廃棄物となる。産業廃棄物を処分する際、最終処分所までの経緯を記録するマニュフェストと言う書類が発行される。それを見れば廃棄物が何処で最終処分されたかが明確となる。 35年以上前の事なので残っていないと思うが「地底の太陽」が廃材と共に処分されてしまったとすれば、その行方が明確となる筈だ。しかもマニュフェストには処分方法...例えば”埋め立て”とか”焼却”とか書いてある筈だ。 本名が明かされてしまったので、わざわざアルファベット表記する事も無いけど...ここで私の万博友達Fさんが登場。最近はメディアへの露出も多く「世界146の博覧会を制覇した博覧会マニア」として紹介される有名な一般人"ミスター博覧会"Fさん。 万博記念公園で阿部さんに「地底の太陽」の行方を聞かれるFさん。神妙な顔をして答えるFさんだったけど多分このくだりはテレビ局に頼まれた、やり取りだったのではないか?Fさんは兵庫県たつの市にあるホテルと石川県の情報を伝える。 兵庫県のホテルのものは,色が一緒の岡本太郎作だけど別の作品だった。テレビの演出とは言え行方不明の「地底の太陽」がホテル入口に展示してある筈がない。 万博閉幕後の「地底の太陽」の行方を推測すると左の様な時間軸となる。2個上の関係者の証言は「地底の太陽」の顔の部分では無く周りから出る光線の様な部位。丸い顔の証言では無いのだ。 周りの光線....太陽の塔正面、現代の顔の脇には「赤のイナズマ」、後ろ側の過去の太陽の脇には「緑のコロナ」って名前が付いているのに地底の太陽の周りの部位の正式名って付いているのだろうか?「フレア」が正式名なのだろうか?調べてみると「フレア」とは太陽における爆発現象の事で火炎の意味もあると言う。そうか!名レスラー、リックフレアーのフレアーもここから来ているに違いない。カッコいい。 「金のヒダヒダ」なんて呼んでいたけど...これからは「黄金のフレア」で行こう。証言は、顔と「黄金のフレア」はいっしょに無かったと言う事になる。 ネット上には1997~2000年にかけて廃材置き場に雨ざらしになった顔の写真が上がっていたとの情報がある。それも今となっては見つからないそうだ。 だとすれば建物内で見かけたと言う「黄金のフレア」の証言も頷ける。その事は分割された「丸い顔」と「黄金のフレア」の2つの行方を追わなければならないと言う事。追跡は難易度を増した。 そして石川県のでの目撃情報。阿部レポーターは石川県まで飛ぶ。父親が万博会場から持ってきて営業していた方の男性を取材する。そこで明らかになった事実は? #
by banpakutantei
| 2020-02-03 03:46
| 万国博
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大阪万博50年。今年もよろしくお願いします。さて構想数年。新春の縁起物オリジナル万博熊手作りました。 ここ数年、毎年酉の市で熊手を購入している。毎年一回り大きいサイズを買っていくのが良いのだそうだ。初めて買った時、七福神、お福さん、小判、翌年の干支、黄金の小槌、宝船、お神輿、米俵、招き猫、お目で鯛、かぶ、升、大入り袋などなど縁起物と言う縁起物をこれでもかと配置したデザインに魅せられた。それはまさに縁起物の万国博。 「いつか大阪万博だらけの熊手を作ってみたい。」本来新しい熊手を買うと古いものは納めるのだが、かなり前に買ったもので丁度良い大きさのものを取っておいた。太陽の塔を置いた場所には神輿があった。 脇はタイムスリップグリコ”万博編”等々で固めた陣営。うしろは通常梅を配置するところ、万博桜。提灯は熊手の為にわざわざ製作した。一番のこだわりは笑う門には福来る。「笑門」の札、と「笑いの世界」ガスパビリオンを掛けたところ。 折角なので万博工作(と言ってもタイムスリップグリコなどを使ってのものだけど)を振り返ってみる。リンクが多くてすいません。先ずはペプシのボトルキャップ。作ったのは多分2000年より以前。ブームになる程色々なものが登場したけど、大阪万博は無かった。無かったので作った。太陽の塔のミニチュアを付けただけの物だけど、いかにも本当に有りそうな雰囲気。いつか大阪万博編が出ないかなぁ。って思った。2005年タイムスリップグリコ大阪万博編が登場した時は相当嬉しかった。 太陽の塔を白く塗る。今でこそ精密な太陽の塔が登場しているけど当時白く塗られた大型太陽の塔と言うと約40万円のものしか無かった。他の大型の太陽の塔は当時テレビの景品として付いてきたブロンズ”色”の太陽の塔。今でもオークションに多数出品されているテレビを買うと貰えた通称「高雄の塔」。 これはこれで良いのだけど、やっぱり欲しいのは白いザラザラ太陽の塔。これも「無ければ作ろう」の前向きな精神で塗ってみた。オリジナルは避雷針が無いのでこれも作ってみた。海洋堂のが出るまではは最大のものだった。 「高雄の塔」を塗ってみて解った事。「高雄の塔」はブロンズでは無くブロンズ色(青銅色)に塗装された物と言う事。ぱっと見はブロンズ製に見えるけど実際は青銅色に塗装された鉄の鋳物。本来のブロンズは銅と錫(すず)を混ぜた合金だけど、これは磁石が付く。 表裏で二分割で鋳造したものを溶接で付けてある事。黄金の顔が少しいびつなのも鋳造で作っている為、バリを取ったりするとこんな曲がったラインとなったのだろう。 白では無くブロンズ色に塗ったのは製作数が多すぎた為、赤のコロナや過去の顔、緑のイナズマを入れるには困難だったのでは無いかと言うのとブロンズ色に塗ってしまえば色々アラが目立たなくなるのと高級感が出たからなのだろう。 2018年太陽の塔内部が常時公開された際、「高雄の塔」の復刻版がソフビで発売された。左上の丸いシールには「2018体限定 ブロンズ 彩色仕上げ」と書いてある。2018年にちなんだ限定2018体のブロンズ仕上げのソフビ。私も2018体分の1体を所持している。未開封なのでシリアル№が入っているかどうか解らないけど多分入っていない。限定とするならばシリアル№を入れて欲しい。 シリアル№が入っていたとしたら一番価値のある数字はやはり「1970」だろう。あの時約40万円限定30個桐の箱入りの太陽の塔。最近見ないけど全部売れたのだろうか? 本物の漆で塗装された戎宮には太陽の塔を祀る。奈良東大寺大仏殿と同様、新年だけ黄金の顔が拝める構造とした。万博エヴィスQを作るはこのあたりから。調べてみれば2008年の建立なのでもう10年以上も前になるとは...しみじみ。 現物は箱と絵札数枚だったけど万博かるた って言うのも作ったなぁ。”あ”から”ん”まで埋めていく壮大なテーマに挑んだけど未だ空白が多数ある。 いつの頃かスノードームの中にある世界観に魅力を感じ色々と購入してきた。日本の土産店で見かけるものは海外の土産店で買ってくるものに比べいまいち。海外土産のドームは多分中国製だけど日本のものは日本製なのかなぁ。中国製の方がレベルが全然上。きっと有名なメーカーがあるのだろう。 で、これも無かったので作ってみた大阪万博のスノードーム。タイムスリップグリコが無かったら出来なかった。 小田原万博資料室内スノードーム研究室で一番のお気に入りはジェラシックパークの世界感を再現した写真下のもの。これは一般に販売されているものの倍位の大きさがあってUSJの2001年開園時の頃に売られていたもの。 写真裏側にはジェラシックパーク入口の門も再現されている。当時いっしょにETのものも売っていて、これも今となれば買っておけば良かったなぁと思う。ジョーズのものは無いのかなぁと探したけど、売り切れだったのか元々無かったのかは解らない。ハリポタのスノードームなんて販売してくれたら即買う。 USJのお土産って欲しいものが無くて何とかならないのかなぁって思っている。ジョーズなんていつも同じものばかり(に見える)しテコ入れして欲しいなぁ。ジェラシックパークのパトロールカーのミニカーなんて長年何故売らないかなぁって思っていた。近年Amazonで見つけて買ったけど昨年のパークの売店では見かけなかったなぁ。 また構想中の万博工作が完成したらアップします。あっその前に構想中の「無いから作るUSJ土産」のが先かも。 #
by banpakutantei
| 2020-01-27 02:33
| 万国博
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結局今年の紅白も石川さゆりが歌うのは「津軽海峡・冬景色」だ。去年が「天城越え」。おととしが「津軽海峡」その前が...ネットで調べてみれば、どうもこの10年位この2曲が交互に歌われている様だ。これは本人では無くNHKの意向なのだろう。真面目に受信料を払っている身とすれば何とかならないものかと思う。 「津軽海峡」と「天城越え」が嫌だとか飽きたと言う事では無い。紅白の舞台で「ホテル港や」を聞きたいだけなのだ。大晦日のブログは「ホテル港や」を何故歌ってくれない?と何度か嘆いているが最近はあきらめ気味だ。 去年は他のチャンネルを見ていて、そろそろトリの彼女の登場する頃とNHKに廻してみれば出番が終わっていた。何故?おかしい!と見てみれば最後の特別枠のサザンオールスターズの為、登場が早まっていたのだった。年越しの最後にやってしまった。 全部は通しで見なかったけど、今年トリのMISIAの2018年のステージは最高だった。最も感動したのは関ジャニ∞の時にビジョンいっぱいに映し出された大阪万博風景。 2025大阪誘致が決まった為だろうけどバックに映し出される太陽の塔、ガスパビリオン、万博会場。万博男の年納め&年越しにピッタリな風景では無いか。 ビジョンいっぱいに映し出される「笑いの世界」をテーマとするガスパビリオン。笑う門には福来る。縁起物。2020年はオリンピックイヤーと言うよりも万博50年。来年もよろしくお願いします。
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by banpakutantei
| 2019-12-31 18:03
| 万国博
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◇本家サイト
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