会場跡への入り口は閉ざされていた。仕方なくリニモ沿線をしばらく歩いてみた。万博会場駅からも確認できた、”前”わんぱく宝島が見える下迄やってきた。
愛地球博前からここにあった建物だが会場の新設のパビリオンの中にあっても違和感を感じさせなかった。
会場の造成と共に解体されてしまったと思っていたので、開幕近く、会場の空撮写真にこの建物を見つけた時は驚いた。
前”わんぱく宝島”、元”愛知県児童総合センター、会場跡地がモリコロパークとなった時、何と言う名前になるのだろうか?大阪万博の幻影を見つけようと開催時、”愛地球博で大阪万博をさがす”と題し、いくつかのブログを書いたが結局タイミングを逸し書けなかった事。それが、この建物に残る
フジパンロボットの生き残り達だ。
このロボット達は大阪万博そのもの。愛地球博に大阪万博は確かにあった。確かにあったが...。ここにはあれから35年後のロボット達が多数在籍する
ロボットステーションというコーナーがあった。
その場所と対極する様な片隅。開幕前と何ら変化の無い展示室に,愛地球博の為の特別なディスプレイも施されず35年前の生き残り達が生きていた。35歳後のロボット達と比べたら彼らはもはやロボットと呼べない品物なのかも知れない。大きなおもちゃと呼んだ方が適しているかもしれない。
この先、大きなお荷物として扱われる様な事が無い様切実に願う。何せ彼らはもう博物館に行くべき大きな動く化石なのだから。