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「月の石」と「月の椅子」。


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前回続き。タワー跡地で蜃気楼の如きタワーオブライフのジョイントを発見したのはこれまでS氏と書いていた白井達郎氏のコレクションの個展の帰りだった。

”万博グッズ三昧!” 万博少年が46年間集めた万博グッズ約2000点。それまでも万博イベント等で小出しに展示された膨大な万博グッズ&資料をカテゴリー別に一気に展示すると言う、遂に来るところまで来た感のあるイベントだった。

東京オリンピック2020でも数々のグッズを見かけるが、大阪万博1970程”こんなものから、あんなもの。あんなものから、こんなもの。”が作られたイベントを超えるものは無いだろう。




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万博マークと太陽の塔で占められた万博グッズ。現在の様にロゴマークの他にイベントキャラクターも作られる構図は無く太陽の塔そのものが最強のイベントキャラクターとなっていた。

展示順路の終盤、何の説明も無く置かれた石とそれに座る人達の一枚の写真。これは一体?正確には焼き物だったのだけどこれは何なのだろう?近未来的な会場デザインと真逆なイメージの焼き物。今まで色々な万博資料を見てきたが、これは初めて見た。この焼き物...当日最大の謎となった。

氏に、この焼き物の所以を聞きそびれ、その内に忘れてしまったのだが、近年、愛知の大仏様をネットで調べていた時、これについて書かれたものを見つけた。



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それは愛知県常滑産 ”月の椅子”と名付けられた焼き物の椅子なのだった。それらは開催当時、エキスポタワー下にあり閉幕後は常滑に戻り現存していると言う。万博会場にあったもの、あの敷地内にあの期間あったものがあるとなれば確認せずにいられない。

タワー解体後も多くの謎を問いかけてくるこのエリア。色々な万博資料を見ていても、情報は薄く殆ど出てこない謎多きタワー下。

この椅子はその謎多き場所にあったものだと言う。となれば謎多き場所にあったものの謎説きに行かねばならない。

あの会場内にあったものは未だ内部に熱気を閉じ込め物好きな万博おじさんが来るのを待っているに違いないと途中、聚楽園大仏を参拝し愛知県常滑市に向かう。(2020.02月)




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サイトによれば”月の椅子”は市内数カ所に残っていると言う。”月の椅子”マップなど作っているかも知れないと期待し駅の観光案内所を訪ねてみたが案の定、その存在すら把握されていなかった。よくある話。

”月の椅子”があると言う常滑陶芸研究所に向かい先ずは、その存在を確認する。”月の椅子”の一部は敷地内に、あっさり確認出来た。

後ろに建つのは伊奈製陶(INAX→現LIXL)創業者、伊奈長三郎氏の像。有名な陶器、世界有数のタイルメーカーは常滑が創業の地だったなんて!初めて知った。そしてその創業者の像の元に置かれた大阪万博メモリアル陶器の一部は結構良い場所に残されていた。

岡本太郎が信楽と出会わなかったら、太陽の塔背面、黒い太陽のタイルが常滑製になったなんて可能性もある。


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受付で「あのぉ、大阪万博の」と切出すと他の”月の椅子”の所在を教えてくれた。敷地内には未だ沢山の”月の椅子”が残っていた。又案内してくれた方は何と、おじいさんが”月の椅子”を作ったとも教えてくれた。

頂戴した地域情報誌によれば、常滑は土管の産地としても有名だが当時は未だ知名度が低く知名度アップを目標としており万博会場での常滑陶器採用の営業努力が実を結び万博会場へのに常滑製の大型陶製プランター(花壇)200個の採用が決まった。

果たして会場内での写真が無いものかと探していたら、せんい館前に配置された写真を見つけた。

博覧会協会から陶製プランターとは別に大型陶製置物の製作の打診あり当時の常滑の作家たちが提案した陶製ベンチが採用されたと言う。

コンクリート・鉄・ステンレスなどの素材が主役となる近未来的な会場の中に土から作った椅子を置けば憩いを提供できると言う発想だったようだ。どうりで私が万博会場をイメージするものと真逆のデザインである訳だ。





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製作デザインの条件は波型を織り込む事とし常滑の若き陶芸家達が関わり約一年を掛け陶器を焼く熱以上の熱量を込め製作したそうだ。

設置場所もこの形状からは日本庭園が合いそうな感じがするが万国博南口から万博階段を通り太陽の塔が正面に見えてくる相当な人が通過するエリアが選ばれたのも椅子が放つ静かなる熱量のせいだったのかも知れない。

陶製の椅子は250個程製作し会場に100個設置された。設置場所はエキスポタワー下が決まり椅子の名は当時話題となった月の石をもじり”月の椅子”となった。



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”月の椅子”...ネーミングの気持ちは理解出来るが、この椅子と月とは全く関連が無さそうだ。しいて言えば月の表面的な感じがしないでもない?かも。

完成した椅子はトラック数台に載せられ製作者数名と市の職員によって会場に設置された。苦労して設置を終え大型の陶製ベンチに寝転がると真上にエキスポタワーが建ちその迫力に圧倒されたと当時設置に携わった陶芸家は回想する。









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会期中、多数の来場者が陶製ベンチに腰を下した。常滑の名を広めると言う目的は十分に果たしたと考えられる。

万博終了後、当時の常滑の若者が陶器を焼く熱以上の熱を込めて製作された”月の椅子”は更に万博会場の熱気を閉じ込め常滑に戻って来た。

それらは現在市内9カ所に配置されている事が確認出来るそうだ。私も此処以外で合計3カ所の”月の椅子”を確認した。





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”月の椅子”の脇にあった陶製の銘板。万博会場にあった事を示す印ではあるが、その所以を示すものは無い。

この椅子の共通のデザインである波型...これは何とも座り難そうだ。まるで常滑版 岡本太郎”座る事を拒否する椅子”の様だ。

拒否椅子より更に座り難そうなデザイン。実際座るとお尻は痛い。常滑に戻った陶製ベンチ。沢山あるので今こそ万博記念公園に一部でも戻ったらなぁなんて考えた。未来都市から自然豊かな公園になった大阪万博跡地に結構マッチするんじゃないかなぁって思った。


# by banpakutantei | 2021-02-08 19:29 | 万国博 | Comments(0)

2020結局 5カ月ぶりの更新。

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前回のブログの最後。2016年夏。タワー跡地タワーオブライフに使用されたジョイントが突如現れたの如く書いた。記憶的な暑さの中、フェンスの遥か彼方に蜃気楼の如く現れたジョイント"オブ"タワー"オブ"ライフ。

もしかして場所を変えながらタワー跡地にあったのではないか?と推測する。跡地は絶えず変化していて、ある時は瓦礫が積み上げられていたり、建設事務所が建っていたりして、その陰に隠れて気付かなかったのでは無いか?

写真は2010年2月。鉄鋼館がEXPO70パビリオンとして公開される2週間程前の写真だ。タワーオブライフに使用されたパネルはブルーシートが被され70パビリオン内に移動されていたのを外から確認出来た。ジョイントは跡地に転がされたままで何故一緒に展示されないのかなぁと思っていた。


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2007年4月位。突如として手前に常設(と言って良いか解らないが)されていたジョイントとポールと共に創建当時のメタルカラーに塗替えられた。

エキスポタワーは創建当時はシルバーだったと言われるが当時の写真を見るとジョイントはダークグレーだった。更にキャビンをつなぐジョイントとポールや階段部分は白、キャビンの一部はオレンジに塗られていた。







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メタルカラー化直前のキャビンとジョイント。1972年再公開時に白と赤に再塗装された。



2003年ヤノベさんによりタワーオブライフと言う作品に変わったキャビンのパネル。実は個々の廃材には手が加えられていない。限定された部材を組替えられて作品は作られた。元の個はオリジナルを保ったままだった。


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こちらは2006年5月の位置。この作品により、なかなか見る事が出来なかった屋根部と内側を見る事が出来た。

キャビンは大部分が凹の面が表を向いていたからくすんだシルバーは元は内側をだった部分。只屋根部は雨が溜まらない様凸部が表を向いていた。赤のパネルは屋根部分だった事が特定できるしタワーの柱に塗られていた赤...在りし日のタワーを思い出させる馴染みのあるくすんだ赤の生き残りでもあった。

熟れ切った果実が落ちてきたとの表現は言い得て妙で、パネルは裏表にされ組替えられただけなので、元々こんなキャビンが1つ付いていたかも知れないし実際にタワーがメタボリズム化されたら、こんなキャビンになった可能性は結構高い。


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現在のタワーオブライフのパネルは再び凹が表に向けられ組み替えられているが何か元キャビンの雰囲気が全く無いなぁと思っていたら、ああ...パネルをつなぐポールとジョイントが無いせいなんだと思った。

結局解体の時にはこれらタワーの一部は保存されずヤノベさんの作品となったパネルが偶然にも残されメタル色に塗変えられたものが組替えられ展示されている。

ヤノベさんが作品を制作しなかったら残っていなかったタワーの部材である。
これも最初はパビリオン内に展示されていたが表に出されてしまった。


前回書いたブリュッセルのアトニウムのパネルの一部は1000ユーロで売りに出されたそうだがキャビンのパネルも販売して欲しかった。



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さて今回の本題は突如現れたタワーオブライフに使用されたものでは無くずっとこの場所にあるもうひとつのジョイントとポール。これらは一体いつからこの場所にあったのだろう?

タワーと同じ部材だがタワーの一部ではなかった部材。組み立てる時に余ったものなのか元々見本の様なものだったのか予備品だったのか?









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左の写真。公式記録にも白黒の写真が載っているが万博当時、タワー下にジョイントが展示されていた事が解る。後方にはペプシ館も見える。この時のジョイントが跡地に現在も残るジョイントなのだろうか?

このジョイントがタワー跡地にずっとあるものと同じものと考えるのが妥当なのだろうが確信が持てない。大きな違いとしてコンクリートの台座の形状が違う。

台座とジョイントに銘板が付いている事が確認できるが、台座そのものが違うのと銘板が確認出来ない。コンクリート製の台座は移動する時に壊れてしまったのか?

台座の銘板には”エキスポタワーを支える鋳鋼製ジョイント”と記されている。ジョイントに付けられた丸い銘板には日本鋳造(株)となっている。この銘板の存在が決めてとなる筈だがこの位置から確認する事は出来ない。

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大阪万博当時、エキスポタワーを意識した事は無かった。もしかしたら知らなかったのかも知れない。だから、くすんだ赤と白とサビ色の配色こそが私にとってのエキスポタワーの配色だった。

元は極彩色や金色だった仏像の色が退色し金箔が剥がれた現在の姿の方が違和感が無い事に近い感覚と言うか2000年30年の時を経て再会した時のくすんだ赤、サビ色が混じり所々元のシルバーが見えた白の方が馴染みがある。

エキスポタワーが赤白だったのは地上60メートルを超える構造物は東京タワーの様に赤白に塗装しなければならないと言う航空法の規制がある為だ。東京スカイツリーや高層ビルの様に航空障害灯を代替設置する例もある様だ。

ここでエキスポタワーの赤と書いている赤は調べてみると「インターナショナルオレンジ」と定義されている赤に近い鮮やかな朱色なのだそうだ。

解体時に採取されたパイプの素地を間近で見る機会があり、その時驚いた事がある。解体で白の塗装が割れた鋼材の素地を見ると全くサビていなかったのだ。つまりパイプ表面の俗に黒皮と呼ばれる酸化被膜によってサビから守られていた訳だ。

タワーがサビだらけに見えたのは一部腐食した箇所から流れたサビ汁が汚したものの様な気がする。

航空法の規制があったと言う事は、あのくすみ方から見て塗替えしなければならない時期だったのではないか?とも思うけどその予算も無かったのかも知れない。壊す予算と維持する予算の選択の中で壊す方が選ばれた訳だ。





# by banpakutantei | 2020-12-29 13:35 | 万国博 | Comments(0)

幻のせんい館人形をさがせ!リターンズ番外編からの○○完結編。

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”幻のせんい館人形を探せ!リターンズ番外編”は1958年ベルギーブリュッセル万国博のシンボルモニュメント アトミウム。行ったのは2018年5月。

ブリュッセル郊外、地下鉄 Heysel駅を降りるとすぐ前に建っている。ブリュッセル万博については詳しくないので多くを述べる事は出来ないけど万博にはやはりシンボルモニュメントは必要で閉幕後も残すべきだなぁと感じた。

太陽の塔のお土産は大阪中で売っている訳ではないがアトミウムのミニュチュアは小便小僧の置物と共にブリュッセルの何処でも沢山売っていた。此処で買ってこそ意味があると思いアトミウム売店で購入したが街中で売っているものと同じものと思われる物だった。ただトランクに入れるとかなりのスペースを取りそうな銘板の付いたものも、あったので今思えば無理して持って来れば良かったなぁとも思う。



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アトミウムは2002年から2004年まで改修工事が行われ当時のアルミニウムの球体パネルがステンレス製に変わったそうだ。この改修工事で万博当時のアルミニウムパネル約2メートル角が1000ユーロで売られたそうだ。

太陽の塔黄金の顔のカケラは小さくされ販売された事があるが約2メートル角の大きさとは置き場にも困るかも知れないけど何とも羨ましい。

球体窓から見たブリュッセル万博会場跡地。眼下には万博会場が広がっていた筈で当時の画像を見るとアトミウムの下をロープウェイが動いていた。大阪万博会場でもロープウェイが運行されていたけど、この頃既に見本があったんだなぁ。

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帰ってから調べてみるとアトミウム周辺には他にも万博遺構が残っている様だけど準備と現地での時間が不足していて確認する事が出来なかった。当時のエスカレータも一基残っている事は帰ってから知った。

私が未だ生まれていなかった1958年。日本では長嶋茂雄がデビューし売春防止法が施工され東京タワーが施工された年だった。ブリュッセル以降の国際博覧会としては1962シアトル、1964ニューヨーク、1967モントリオールを経て1970大阪万博となる。ブリュッセル博は大阪万博12年前に開催された

球体の上部まで一気に登るヨーロッパ最速と言われるエレベーター。本体は当時のものとは違うだろうが、この方式だと多分多くの人数を運ぶ事は困難だったのでは無いかと思う。




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大阪万博12年前の万国博覧会。当時のアトミウムの展示はどの様なものだったのだろうか?と調べてみたが上層階にレストランがあった事は解ったが英文欧文で書かれているのと内部の写真があまり見当たらなくて詳細は解らない。眼下の眺望を楽しむ展望台としての機能がメインだったのだろううか?

エレベータホールを出ると展望室となる。上部にはレストランがあった。公開されていない球体も幾つかある様だがエスカレーターや階段を利用して各球体を移動する様になっている。


球体から球体へ渡るチューブ内。動画を撮影していたので写真が無いがSFチックな演出のエレベータもある。




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球体内にはブリュッセル博の記念品の展示しブリュッセル博を記念するコーナーもあった。大阪万博より12年も早く開催された博覧会のシンボルモニュメントは、現在でもかなりの未来感を感じさせる。

この様な球体を1つ組み込んだ建物は日本でお台場のフジテレビ、藤沢の湘南台文化センター、名古屋市科学館プラネタリウムなどにも見られる。何れもこのアトミウムを参考にした様に思える。







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今回唐突にアトリウムの話題なのかと言うと...それはベルギー出身の画家ルネ・マグリットつながり。期間限定?で球体の一つはルネ・マグリットのコーナーになっていた。

マグリット人形を知るまではルネ・マグリットの事を知らなかった。ルネ・マグリットの作品があってこその大阪万博せんい館のマグリット人形。写真に写る顔の無い男に顔を与え人形にしたのがマグリット人形。

この絵から、あの不気味な表情を創造した四谷シモンさんの発想力。ブリュッセル万博遺跡の中に展示される大阪万博展示のモチーフとなった作品展示。此処に日本のマグリット人形が並んだらなんて想像しているだけで、ワクワクした。



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マグリットには”ゴルコンダ”と言う顔のある紳士が空中に沢山浮かんでいる絵もあって、こちらの方がせんい館に近いのかなぁ。

写真はアトミウムの入場パンフレット。高さは102メートル。エキスポタワーは127メートルだったけど一番上の展望室の高さは、大体同じ位かなぁ。球体とキャビンだけど幾つかの展望室が個々に配置されている処が似ている。









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アトミウムで買った冊子に写っていたリニューアル工事中の写真。2002年にリニューアル工事が行われる前はどんな感じだったのだろう?1958年ブリュッセル博閉幕後アトミウムはずっと公開されていたのだろうか?

冊子は英語とオランダ語表記となっているが閉幕後のアトミウムがどうなっていたのかを読取る事が出来なかった。大阪万博のエキスポタワーの様に会期後一旦閉館し、その後再公開されたのだろうか?エキスポタワーの場合、1972年の再オープンから1990年の再閉館まで公開されていたがアトミウムの場合どうだったのだろう?







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冊子に出ていた一枚の写真。これは...苔。あっ!と思った。これはあの大阪万博施設の写真と同じ風景。

アトミウムの球体内部には苔が生えていた。使用されなくなったキャビンと球体に生息していた苔。これは偶然なのか、元々この様な場所には苔が生えてくるものなのか?

この様な状態と言う事はリニューアル迄一般人の出入りが無かったと言う事ではないだろうか?グーグル英文訳が正しければこの球体は数年間もの間放置されてきたとある。それがいつからなのか解らないが博覧会後も公開されていたアトミウムもいつの頃からか中に入る事が出来なくなっていたのでは?




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あの万博施設の写真。それは大阪万博エキスポタワーキャビン内部。2003年開催されたヤノベケンジさんの個展「MEGALOMANIA」(誇大妄想狂)のポスターにもなったタワー内部。 再閉館し人の出入りが無かったキャビン。老朽化で出来たパネルの隙間から胞子が舞い込み苔やシダが生息していた。

黄色のアトムスーツを着て封印されたキャビン内部にオフィシャルに佇むヤノベケンジさんの羨ましい風景。

この展覧会でヤノベさんはエキスポタワーのキャビンのパネルやジョイントなど廃材を使用し「タワーオブライフ」と言う作品を作った。降ろされたキャビンと言う「落ちてきた未来の果実」の中に生息していた苔も未来へ伸びてゆく生命体として作品の一部となった。




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タワー解体が2002年、アトミウムのリニューアル工事が2004年。撮影はその直前としてほぼ同時期、日本とベルギーの2つの無人となった万博遺産内空間に生息していた苔。片やリニューアル片や解体と言う。真逆の運命を辿った万博のシンボルタワー。

100メートルの高さから降りてきた未来の芽は、そこからまた未来へ向かって伸びていく筈だった。タワー解体から、早18年となる2020年。今だったら解体を逃れたかも知れない。あと少し待ってくれたらなぁ。

会期終了後キャビンパネルで作られた作品外周部はタワー跡地に置かれ「MEGALOMANIA」と刻まれた石碑が傍に設置された。その後、石碑は消え「タワーオブライフ」は敷地内の元々タワーの部材があった場所に移動され、何故かまとめて当時のシルバー色に塗り替えられた。

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そして元タワーオブライフとなったパネルは2010年新装開店した鉄鋼館EXPO70パビリオンに元エキスポタワーとして、パネルの表裏を組み換えられて屋内展示室ホワイエ奥に展示されたが現在は建物入口脇の屋外に出され何とも不遇(私にはそう見える)な余生を送っている。

元タワーオブライフの呪縛を解くため解体し、もう少し重要文化財並の扱いをして欲しい。もっと廃材を取って置いてくれたら70パビリオン内にエキスポタワー記念室位出来た筈。非常に残念だ。

タワー解体から14年の2016年夏。久しぶりに訪れたタワー跡地。これまでも跡地は何かしらの変化をしていて多くの謎かけをしてきたが今回はアスファルトの残骸が盛ってあった。そしてそのアスファルトの向こう側に「あっ!」思わず唸った。


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あれはタワーのジョイント。何故此処に?

ズームしてみる。これは...元「タワーオブライフ」の部材となっていた元エキスポタワーのジョイント。そしてその横には一旦消えた筈の「MEGALOMANIA」の銘板が。またもやの”タワー跡地からの謎かけ”。

今頃何故この場所に?何度か跡地に来ていたが以前は無かった。(筈)その日は記憶に残る程の酷暑でまるで蜃気楼でも見たのかと思った。

「タワーオブライフ」のパネルは一時この場所に戻って来ていたと書いたけどジョイントは初めて見た。一緒に使われたエレベーターのパネルも残っているのかなぁ?

2019年11月の時点で、この状態は確認出来ているが東京の菊竹事務所以外に残っているタワージョイントは、もしかしてタワーオブライフに使用されたこの1個だけかも知れない。

重要文化財級博物館行きのタワーのジョイント。何故此処にある?と問えばタワー跡地だからと言う理屈もある。「MEGALOMANIA」(誇大妄想狂)の石碑が何故此処に?と問えば...?だけど、タワーがあった空間を見上げ「あぁ。残っていたらなぁ」と妄想している。しかしキャビンに生息していた苔...何処かで生きているのかなぁ?と更に妄想してみる。


タワー跡地に関してはタワーオブライフの今とかタワー跡地の今 とかタワー跡地の今リターンズとか帰って来たタワー跡地の今 とか 色々書いているので良かったら。

# by banpakutantei | 2020-07-13 02:51 | 万国博 | Comments(0)

幻のせんい館人形をさがせ!リターンズ 3。

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幻のせんい館人形をさがせ! 遂にマグリット人形4号まで来た。現在の居所は香川県坂出市の四谷シモン人形館 淡翁荘。入口でお出迎えしてくれる。

これは唐十郎さんの山中湖湖畔の別荘兼稽古場兼倉庫にあったもので、万博終了後シモンさんの元に帰って来た2体の内の1体。

人形館は淡翁荘と呼ばれ鎌田醤油と言う醤油会社元オーナーが昭和11年に建てた洋風の迎賓館。シモンさんの人形の住処にピッタリな場所。人形館は2004年の開館だがマグリット4号は2011年にやって来たそうだ。

現存が確認されている内の1体がシモンさんの人形館と言うあるべき場所にある事実。大阪万博以来、巡り巡って此処に納まった奇跡とも言える。 












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(すいません)ネットで拾った画像。マグリット4号が唐十郎さんの湖畔の別荘にあった時のもの。この場所で、この人形を見た人は極僅かなのではないだろうか?

現存する4体の他に万博終了後に確認されているが、その後幻となったものもある。幻1号2号は大阪平野区のテーラーにあるマグリット1号と共に貰われてきた3体の内の2体。

内1体の幻1号は前々回マグリット2号なのでは?との仮説も立てたが裏付けるものは無い。幻2号は中身がどうなっているのか解体実験されてしまったそうだ。







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幻3号は倉敷の倉紡記念館に行った一体。万博終了後に発刊された記念誌”せんい館”には大阪万博でのせんい館を末長く伝えて行くべく”せんい館”特設コーナーを設ける予定と記載され、展示されていた大しめ縄と共にマグリット人形も展示されるイラストが見える。

現在も倉紡記念館はあるが、せんい館の特設コーナーは無い様だ。ネットで画像検索してみると大阪万博の展示は少しある様だがマグリット幻3号は無い。

せんい館特設コーナーは何時頃迄あったのだろうか?展示されたいたとされる幻3号は何処かで保管されているのだろうか?いかんせん、これも万博閉幕直後となれば約50年も前の出来事。多分リニューアルか何かのタイミングで撤去されたのだろうけど、蔵の街、倉敷。何処かの”開かずの蔵”に保管されている可能性は高い。



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これは万博友達Oさんの証言。千里中央駅ショッピングモール、セルシーの、この付近にあった洋品店の前にマグリット人形はあったと言う。写真は2006年のものだから当時とは別の店舗かも知れない。

Oさんの記憶力は抜群なのと、当時の記念協会の方からも「確かにあった」との証言も得ているけど、これもやはり約50年位前の話。これが幻4号。









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2016年10月、日経に出ていたマグリット3号。持ち主のビリケン商会三原さんへの取材記事。ビリケン商会は日本で最初の古いおもちゃ専門店として1976年にオープンしたが現在ではガレージキットの企画販売も行っている。

販売と別に個人的に昭和40年代のものの収集を約40年続けているそうだ。そんな品物に囲まれた生活..憧れる。で写真の中に見つけたマグリット人形。

ガレージキットで販売してくれないかなぁ。15体(シモンさん説)並べてせんい館の世界を再現したいなぁ。






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ビリケン商会三原さんの記事の横に載った「文化往来」と言う記事。明治時代に起こった廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)運動によって離れ離れになった対の仏像...廃仏毀釈とは仏教寺院、仏像、経巻を破毀(はき)し仏教を廃することを指し「廃仏」は仏を廃し、「毀釈」は、釈迦の教えを壊す仏教弾圧運動の事。

奈良興福寺の五重が、25円とか250円で売りに出された話が有名だがこれにより日本全国で奈良朝以来の夥(おびただ)しい数の貴重な仏像、仏具、寺院が破壊され、僧侶は激しい弾圧を受け、還俗(げんぞく)を強制されたりした。

何故この様な事が起こってしまったのかは様々なサイトに出てけど奈良の風景に欠かせない興福寺の五重の塔も無くなってしまっていたかもと考えると、ゾッとする。亀井勝一郎「大和古寺風物詩」、奈良入江泰吉「奈良大和路」和辻哲郎「古寺巡礼」以前の出来事である。








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興福寺の仏像も2000体以上も無くなってしまったそうだ。きっと全く想像出来ない素晴らしい仏像も含まれていた事だろう。そう考えると今残っている素晴らしい仏像の数々、よくぞ残ってくれたなぁ。

阿修羅、北円堂の無著、世親像などを明治21年に撮影した白黒写真がある。それらは現在と違い一緒に並べられ、阿修羅を撮影した最初の写真と言われているが、その腕の何本か折れてしまっていて現在の様に合掌していない。廃仏毀釈との関連は解らないが興福寺がいかに荒廃していたのかが解る写真でもあった。


廃仏毀釈で無くなってしまった寺院や仏像、荒れた講堂に立つ腕の折れた阿修羅の白黒写真にエキスポタワー、万国博美術館、ホール等々の万博遺産の撤去を重ねてしまう。エキスポ70パビリオンとして復活した鉄鋼館や公開された太陽の塔内部の生命の樹、行方不明の地底の太陽など、似た様なものだった。

記事は廃仏毀釈で離れ離れになっていた仏像が何と112年ぶりに対で展示されると言うものだ。

万博閉幕後離れ離れになって15体とも20体とも言われているマグリット人形。半数以上の行方が解っていない。運び出されぬまま、せんい館と運命を共にしたものもあったと思われるが、何時か新たな兄弟が発見される可能性もある。










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確認されているマグリット人形4体。いつか一同に会し並ぶ機会が無いかなぁ。只、元の場所に戻る時解らなくなってしまうので一応何処かにナンバリングしておく事が必要だ。


# by banpakutantei | 2020-04-26 18:24 | 万国博 | Comments(0)

幻の せんい館人形をさがせ!リターンズ2。

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前々回、私が実際に見た順番に付けた№1号、2号の大阪万博せんい館のマグリット人形。現存するのは4体とされている内の3号、4号について。

2020時点での居場所は3号は東京青山のビリケン商會さん。4号は四国香川県の四谷シモン人形館にあるが元々この2体は大阪万博終了後作者の四谷シモンさんの元に戻って来たものらしい。

ビリケン商会さんの展示で数年ぶりに人形と再会をした四谷シモンさん。そのページに頂戴したシモンさんのサイン。この時は2体しか残っていないと思っていたそうだ。

著書によれば万博終了後、役者でもあったシモンさんのアパートに2体のマグリット人形が戻ってきたが置き場も無く、出演していた状況劇場の唐十郎さんに引き取ってもらったそうだ。

マグリット人形は唐さんから「ヨーロッパ」と名付けられ「吸血姫」と言う公演の舞台装置として登場した。ヨーロッパ」...それはこの姿からイメージしたのか、ルネマグリットがベルギー出身からなのか現在のEU諸国を全部一緒にして「ヨーロッパ」としたのかは解らない。






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写真は四谷シモン人形館のリーフレットから。「吸血姫」は京都、仙台、渋谷、吉祥寺を巡業し渋谷ではパルコが建つ前の駐車場だった土地にテントを張り公演したそうだ。

写真は多分渋谷の時のもの。この頃の渋谷は未だ薄暗い町だったそうだ。駐車場に立つ「ヨーロッパ」 。シュール以外の言葉が浮かばない。舞台に登場したのは2体中の1体だったそうだ。







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「吸血姫」の舞台。手前が女形に扮したシモンさん。この公演は大変な人気を博したそうなので、当時見た方も多数おられると思う。どの様なキャラクターとしてマグリット人形は登場したのだろうか?

この公演の終了後、山中湖畔に建てられた唐さんの「乞食城」と名付けられた稽古場兼倉庫の完成パーティの日に運び込まれた。なんとその日の天候は大嵐だったそうだ。湖畔の別荘に大嵐の日に運ばれたマグリット人形。ドラマのワンシーンの様だ。

この時点で別荘にあったマグリット人形は2体。この内の1体が2000年に開催された「四谷シモン展」で展示され会期終了後、ビリケン商会がシモンさんから購入したのだそうだ。この人形はビリケン商会さんでも展示され、埼玉、東京、千葉でも展示された。

つまり、この1体が見た順番からすると私にとってのマグリット3号となる。「吸血鬼」に登場したものが3号か4号かは解らない。

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2012年、埼玉県立近代美術館「日本の70年代」展のリーフレット。せんい館のスタンプの印影とマグリット人形。

意図したものなのか帽子からレーザー光線の様に文字が飛んでいる。

1つ下は2015年、東京国立近代美術館で開催された「大阪万博デザインプロジェクト」での展示。この時はガラスケースに入れられていた。展覧会の図録の表紙は、ありがちな太陽の塔では無くエキスポタワーの渋い白黒写真となっている。

その下は2018年千葉市美術館での「1968年 激動の時代の芸術」展での展示。埼玉の内容と結構似ていた。台座にはシモンさんのサインが見える。これは貴重だ。



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「大阪万博デザインプロジェクト」の図録を読み返すと、横尾忠則さんの寄稿が載っていた。当時未だ大企業からの依頼は殆どなくマイナーな劇団や出版社の仕事が中心で、どちらかと言うと反博派の横尾さんの元へ舞い込んだ国家事業、万博。経験のない建築の仕事だったが、一世一代の大仕事。未知のジャンルではあるが挑戦的な意欲に後押しされ引き受けたとある。

建設途中の状態で凍結したい衝動に駆られ、それを実現させる経緯。工事の人形の型は人体モデルから取った話など、横尾さん自身が寄稿されている事が興味深いし、せんい館はどこまでが...どれとどれが横尾さん作品なのかが解る。

せんい館前に建っていた、映画看板だって、どう見ても横尾さんの作品だけど裏付けが無いなぁと思っていたけど、やっぱり横尾さんのものだと解った。



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パビリオンの中には四谷シモンさんのマグリット人形が並んだり、植松国臣さん、秋山邦晴さんが携わっていたり、パビリオンの頭部などには吉村益三さんが作ったカラス(そう言えば横浜美術館が吉村さんのカラスを保有しているんだけど万博の時のものか解らない)が置かれた。

色々な方が携わったにせよ、せんい館は横尾”ワールド”パビリオンであった事に間違い無い。そして...当時酷評されたと言うが現在評価の高い、せんい館に入っていない当時の私...。

2025年 第2回大阪万博。是非 横尾さんに、新しいせんい館を作ってもらいたい。マグリット4号は、また次回 幻のせんい館 人形をさがせ!リターンズ3にて。

# by banpakutantei | 2020-04-06 01:06 | 万国博 | Comments(0)

祝 EXPO70パビリオン開館から10周年。

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大阪万博50周年の今年2020年。一般的には大阪万博50周年がクローズアップされているけど、10年前大阪万博40周年の本日3月13日はEXPO70パビリオン開館記念日。祝開館10周年となる。遂数年前の出来事かと思っていたらもう10年も前の出来事。

写真は万博記念公園駅の横断幕。解体の噂が絶えなかった鉄鋼館が万博メモリアルを核としたEXPO70パビリオンとして復活するニュースを聞いたのはいつの事だったのだろう。

何処かで何かの力が働いたのだろう。あの時の嬉しさと言ったら...万博メモリアルパビリオンの開館と言うよりも鉄鋼館が残ったって事の方が嬉しかった。1970年以来一般人には閉鎖されたまま秘境となっていた鉄鋼館の解放。10年前には何を書いていたのかなぁと見直してみれば相変わらず”EXPO70パビリオン開館まで”などとカウントダウンしていた。



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開館記念式典への一般人の参加は抽選で行われたと思う。万博友達のYさんから誘っていただいたお陰で参加する事が出来た。今でも凄く感謝している。参加出来て本当に良かった。

当日の天候は今にも雪でも降りそうな寒々とした見事な曇天で、それはそれで大阪万博開幕式前日をイメージさせた。










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記念式典でのテープカットシーン。故堺屋太一さん、コシノジュンコさん、橋爪さん、河内屋菊水丸さん、嘉門達夫さんなど、そうそうたる万博関係有名人。

片や客席を見れば、そうそうたる万博ファンが多数列席されていた。記念式典に列席するなんて”かなりな万博ファン”以外にいないので至極当然の風景でもあった。

会場で流れた”世界の国からこんにちは”には本当に感動した。万博男の万博年表においてあの日の記念式典への列席は深く刻まれている。





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写真は当日テープカットに使用されたリボン。鉄鋼館からEXPO70パビリオンと名を変えた記念日。鉄鋼館は元鉄鋼館となったけどパビリオンは元パビリオンでは無く名前からしてパビリオンと言う名前が付いていた。

10年前のブログに書き損なってしまったので、万博探偵事務所資料室(秘公開)で熟成させていたEXPO70パビリオン10周年の、この日の為に取って置いた歴史の舞台で使用された貴重な逸品。







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当時も書いているけど、この日見た展示品で一番の衝撃。幻のスカンジナビア館の幻のスカンジナビアンパビリオンのパンフレット。石狩に移築されたスカンジナビア館改めスカンジナビアンパビリオンのパンフレットが何故此処に?オープン後万博記念協会に送られてきたのかなぁ?

「これはスカンジナビア館のものでは無く石狩に移築されたスカンジナビアンパビリオンのパンフ....なので(凄く興味があるので)中身を見せてもらえませんか?」と係の人にお願いした処、「間違えていてけしからん!」と解釈されたのか、このやっとお蔵から出てきた幻のパンフレットはその後他のものに変更され、再びお蔵に入ってしまった。




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鉄鋼館のホワイエはマニアエキスポなどのイベントで開放される事があったが”紅の回廊”からの内側、音楽堂の公開は一般人的には1970年以来の事となる。まさにレッドゾーンへの突入が実現した訳だ。

開館が待ちきれず約一か月前にも訪れた時、鉄鋼館裏には内部改造で出た残骸が幾つか落ちていた。その中には紅の回廊の一部と思われる深紅のカケラも発見した。








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そんな節目となる開館10周年。現在の企画展は「知る、見る、遊ぶ太陽の塔」。パビリオンでは何か記念イベントがあるのかと思いきや...特に何も無さそうだ。

更にコロナウィルスの影響でパビリオンは本日も閉館したままだ。太陽の塔内部公開も閉鎖中。仮に記念イベントがあったとしても中止となっていただろうけど、コロナの影響があっても無くても残念ながらイベントは行われなかった様だ。



コロナで休止中だが、現在行われているイベントの案内にも10周年の文字は見当たらない。この10年、全部でいくつ位の特別展が行われたのだろう?年2回、行われたとして20回もの特別展が開催された訳だ。

思い出してみると面白い企画が結構あった。パビリオンでやる以上、万博に特化した企画な訳でネタも出尽くし気味かも知れないので企画作りにもかなり苦労しているのでは無いかと思う。

”エキスポ70パビリオン、10年の歴史を振り返る。”なんて振り返ったら今年中にも書ききれないかも知れない。

EXPO70パビリオン10周年の、ノーアナウンス。まさか 私の勘違いで10週年は来年なのか?1.2.3と指を折って数えてみたがやはり今年が10年。まさか関係者の誰もが憶えていないのか?

10年前の今頃書いていた事はこのあたり。
























# by banpakutantei | 2020-03-13 03:49 | 万国博 | Comments(0)

幻の大阪万博 せんい館人形をさがせ!

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前回、「何でも鑑定団」の次週のテロップを見て半分期待を持って「まさかマグリット人形?」と書いたが登場したのは何とまさかのマグリット人形で驚いた。

過去「幻のマグリット人形をさがせ」とか「見えてたものを確かめに」「マニアエキスポ マグリット兄弟」など書いてきたけど、まさかテレビで見る事が出来るとは。

大体「大阪万博の不気味な」ものと言えばせんい館にあったマグリット人形しかないけど、あの人形をテレビに出して良いのかと思った。



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布を被され登場した四谷シモン24才の時の作「ルネマグリットの男」。通称マグリット人形或いは、せんい館おじさん。「お宝オープン!」と布を取ってみれば、「おぉぉぉ」と、どよめく会場。

紛れもなく、そこに立っていたのは大阪万博せんい館のマグリット人形。まさか地上波画面で見る事が出来るなんて!感無量だ。

一体マグリット何号なんだ?4体の現存が確認出来ているけど依頼人は東京の方。えっ?まさか5体目のマグリット人形?

公式記録では20体、シモンさんの著書では15体製作されたとするマグリット人形。当時の館内の写真を見ると13体までは確認出来る。


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実際に私が実物を見た順番に番号を付ければ2000年に見た大阪市平野区のテーラーの店頭に置かれたものがマグリット1号。

2007年のマニアエキスポに展示された神戸の方所有のものが2号。2012埼玉、2015東京、2018千葉で展示されたビリケン商会さん(以前はお店でも展示された)所有のものが3号。香川県四谷シモン人形館に展示してあるものが4号となる。

その他、万博閉幕後岡山のクラボウ記念館に展示してあった幻5号。千里中央の洋品店の前にあったとされる幻6号。平野区のテーラーには当初3体あったそうで内部を調べる為に壊してしまった幻7号と知人に譲ったと言う幻8号がある。

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何しろ皆同じ(多分)姿をしているのでどこかに番号でも書いていない限り、どれがどれだか見分けがつかない。

気になる出処は?「神戸の友人から3年前に100万円で購入した。友人は蚤の市で買ったそうだ。」との事。蚤の市と言えば2007マニアエキスポで展示されたマグリット2号である事が濃厚だ。

後日、関係者から裏付けとなる証言を得た。よって鑑定団に出たものは”私にとっての”マグリット2号と同一のもの。残念だが新たな発見マグリット5号では無かった。 



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さていよいよ鑑定。果たして結果は?依頼人は購入価格の100万円を付けていた。











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何と驚きの五百万円の評価額。高額だけど当然の金額だろう。もし私が鑑定師だったら更に上の金額を付けていただろう。

2019年秋EXPO70パビリオンで開催されたイベント、万博遺跡のその後を追いかける「大阪万博ビフォーアフター展」では私の写真も数多く展示して頂いた。

現存する4体のビフォーアフターも紹介され、その中のマグリット1号の写真は私が撮影したもの。





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左は2007年マニアエキスポでのマグリット2号。

ビフォーアフター展での2号のキャプションを抜粋すると「1990年梅田で映画の帰りに、お初天神の境内をのぞくと、そこにはかつて大阪万博のせんい館にあった人形が立っているではないか!愕然(がくぜん)として見に行くと、それは恒例の蚤の市で”平野の業者”が持ってきたものでした。

ハトの糞が肩口にかかっていたとは言え、これは即決で購入。神戸まで運んでもらいました。その後阪神大震災で左腕が脱落、指も折れたが修理して家に置いてあります。

当時は何かボソボソと喋っているというギミックがあり(胸の中にテープレコーダーが入っていたと思われる)そのため音出し用の穴がシャツの下に空いています。テープレコーダーの電池は頭が外れたので、そこから替えていたのでしょうが今は間違って接着してしまったので、もう取れません。帽子正面のレーザー光線あやとりミラーは買った時には無かったので後から足していますが塗装や布などは1970年当時のものです。」






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左は平野区のマグリット1号。初めて見た2000年は店の外に立っていた。この頃は未だデジカメで撮ってない。

2号のつづき...マニアエキスポ当時は帽子のあやとりミラーは付いておらず写真の様に小さな穴が空いていた。いっしょに撮った写真では直した指も確認出来たし左手肩口には、鳩の糞の跡らしき白い汚れが付いていた。

しかし...1990年と言うと万博開催から20年。その間この2号は何処に?新たな疑問が浮かんできた。

お初天神と言うのは大阪曽根崎にある正式名称を露 天神社(つゆのてんじんしゃ)の事だそうだ。近松門左衛門の人形浄瑠璃「曽根崎心中」のヒロインの名前「お初」にちなんで「お初天神」と呼ばれているそうだ。てっきりお正月の天神様なのかと思っていた。

人形浄瑠璃、ゆかりの地に立っていた大阪万博ゆかりの人形。それは”平野の業者”が持ってきたと言う....平野区...それはもしや前述した平野区のテーラーに持ち込まれた3体の内の1体...知人に譲ったと言う幻の8号? マグリット2号は幻の8号と同一の個体なのか? 

写真のキャプションを読んで何が凄いって...万博20年。何気に立ち寄った蚤の市で遭遇したせんい館の人形に即反応、即購入したと言う事。私がもしマグリット人形に遭遇したとしても購入まで行くかどうか?

この人形を所有するには相当な覚悟が必要だ。不気味なマグリットと共に暮らす覚悟。大きすぎるので押入れに入れる事は出来ず部屋に置くことになるだろう。朝のおはよう。帰った時のただいま。夜のお休み。マグリット人形を所有すると言う事はマグリット人形と共に生きると言う事。



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左写真 店内で撮影させて頂いたマグリット1号。2007年11月撮影。



放送の数日後、東京で万博イベントが開催された。2007当時マニアエキスポの後、展示してあったマグリット人形をある方が買うかも知れないって話を聞いた事を憶えていた。

ある方とはイベントで万博映像を解説される橋爪 紳也さん。私よりずっと前に万博遺跡を追いかけた方。博覧会、大阪に関する書籍を何冊も出し、2025大阪万博誘致に尽力された。

「07年のマニアエキスポに展示されたマグリット人形が今週の何でも鑑定団に出てきたんですが当時先生が購入する予定があったって話を聞いた事があるんですが、どうだったんですか?」

おっしゃられた返事に驚いた。「あぁあれね。僕の友人が蚤の市で10万円で買ったは良いけれど置き場が無くて10年位、僕の研究室で預かっていた。」

何と言う衝撃の証言。結局購入はしなかったけれど、10年もマグ
ット人形と共に研究室で過ごされたとは!つまり朝、研究室に来ると「おはよう」。帰る時は「じゃ。また明日 留守は頼む」ってやってたかも知れなかったのだ。マグリットと共に歩んだ10年。研究室を人形が出ていく時は、寂しかったのかなぁ?






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反射して見にくいけど、やはり2007年の撮影。店は約13年前に閉店したと言う。13年前...つまり2007年。ガラスに貼られた”売りつくし”の文字が確認出来るだろうか?

洋品店店内に立つ人形のシュールな最終光景。2015年、元店主は人形と共に新聞取材を受けている。あれから更に5年。マグリット人形は未だいるのだろうか?

記事では四谷シモンさんと横尾忠則さんにも取材している。シモンさんは「そんな風に残っているなんて奇跡」と述べ横尾さんは「僕も工事作業員の人形を20体ほど作った。当時は作品として意識してなかった。あれも残っていればな。シモンさんが羨ましい」とコメントしている。





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せんい館は横尾さんプロデュースになっているけど、どこまでが横尾さんなのかハッキリ解らなくて、この工事作業員の人形も横尾さんって明記した資料を見た事がなかった。この記事で御本人がコメントしているので横尾作品と確定できた。そもそも、この人形はせんい館の一部と考えればもっともな話でもあった。

20体ほど作ったと言う「赤い工事作業員」。本当に1体も残っていないのだろうか?誰かが持って帰っていても不思議じゃない。実は横尾さんの処に万博閉幕後1体戻っているけど完璧に忘れているって事ないだろうか?

いつか「何でも鑑定団」で「大阪万博 幻の横尾作品」なんてタイトルで出てこないかなぁ。こう書いてくると何処かに1体位残っている様な気が本当にしてきた。新たな課題が見つかった。タイトルは「幻の大阪万博せんい館 赤い工事人形を 追え!」だ。

07 マニアエキスポの様子はこのあたり。

# by banpakutantei | 2020-03-06 00:42 | 万国博 | Comments(0)

大阪万博で不気味って言えば。

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関東で日曜昼の再放送されている「何でも鑑定団」。前回の放映の横と下に出た通常版の予告テロップ。

「大阪万博に展示された不気味なお宝とは?」

これまでも幾つかの万博お宝が出たし、見逃したもの、出た事自体知らないものも
結構あると思うけど一番印象に残っているのは東京都稲城市のスーパーレジン工業で製作された太陽の塔 現在の顔の原型。あれ一体幾らだったかなぁ?




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岡本太郎がその原型から作った発砲スチロールの原型を一心不乱に削っている動画が有名だ。

大阪万博の顔である太陽の塔。その正面の顔と言えば顔のなかの顔。”顔”中”顔”。

製作した建物は未だ残っているらしい。その場所はまさに歴史の舞台。万博遺跡と言うよりも万博史跡。これは太陽の塔内部、生命の樹を作った工場などにも言えるだろう。

しかし...不気味なお宝って何なのだろう?あっ、まさか せんい館のマグリット人形?まさか..ね。解るのはテロップで予告するレベル、次回放送の目玉って事。楽しみ。




# by banpakutantei | 2020-02-18 13:46 | 万国博 | Comments(0)

2019の元旦番組を振り返る~その2。


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2019の元旦番組を振り返る2回目。「地底の太陽」の捜索は続く。解体業者の証言により1977年頃神戸市立王子動物園内の県の庁舎で目撃され県庁舎解体の1984年頃何処かに消えてしまったと言う。別の情報では「地底の太陽」は建設予定の美術館に展示される予定で引取られたそうだ。

結局、美術館建設の予定は頓挫し保管されていた「地底の太陽」は庁舎に放置された。1984年庁舎の解体と共に行方不明となった。行方不明と言うが庁舎の廃材と共に処分された。そんな経緯なのだろうか?

その跡地には動物科学資料館がオープンしたそうだ。未だ探せていないが1972年の朝日新聞に「地底の太陽」の記事があるそうだ。その記事に保管先の具体的記述があるのではないかと思う。


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関係者からは「地底の太陽」のフレアと呼ばれる物体の目撃情報も出た。フレアとは「地底の太陽」の顔の周りから出ている金のヒダヒダ。太陽の塔に関する物との証言から「地底の太陽」の事だろう。

庁舎解体時に出た廃材は産業廃棄物となる。産業廃棄物を処分する際、最終処分所までの経緯を記録するマニュフェストと言う書類が発行される。それを見れば廃棄物が何処で最終処分されたかが明確となる。

35年以上前の事なので残っていないと思うが「地底の太陽」が廃材と共に処分されてしまったとすれば、その行方が明確となる筈だ。しかもマニュフェストには処分方法...例えば”埋め立て”とか”焼却”とか書いてある筈だ。

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本名が明かされてしまったので、わざわざアルファベット表記する事も無いけど...ここで私の万博友達Fさんが登場。最近はメディアへの露出も多く「世界146の博覧会を制覇した博覧会マニア」として紹介される有名な一般人"ミスター博覧会"Fさん。

万博記念公園で阿部さんに「地底の太陽」の行方を聞かれるFさん。神妙な顔をして答えるFさんだったけど多分このくだりはテレビ局に頼まれた、やり取りだったのではないか?Fさんは兵庫県たつの市にあるホテルと石川県の情報を伝える。

兵庫県のホテルのものは,色が一緒の岡本太郎作だけど別の作品だった。テレビの演出とは言え行方不明の「地底の太陽」がホテル入口に展示してある筈がない。



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万博閉幕後の「地底の太陽」の行方を推測すると左の様な時間軸となる。2個上の関係者の証言は「地底の太陽」の顔の部分では無く周りから出る光線の様な部位。丸い顔の証言では無いのだ。

周りの光線....太陽の塔正面、現代の顔の脇には「赤のイナズマ」、後ろ側の過去の太陽の脇には「緑のコロナ」って名前が付いているのに地底の太陽の周りの部位の正式名って付いているのだろうか?「フレア」が正式名なのだろうか?調べてみると「フレア」とは太陽における爆発現象の事で火炎の意味もあると言う。そうか!名レスラー、リックフレアーのフレアーもここから来ているに違いない。カッコいい。

「金のヒダヒダ」なんて呼んでいたけど...これからは「黄金のフレア」で行こう。証言は、顔と「黄金のフレア」はいっしょに無かったと言う事になる。




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ネット上には1997~2000年にかけて廃材置き場に雨ざらしになった顔の写真が上がっていたとの情報がある。それも今となっては見つからないそうだ。

だとすれば建物内で見かけたと言う「黄金のフレア」の証言も頷ける。その事は分割された「丸い顔」と「黄金のフレア」の2つの行方を追わなければならないと言う事。追跡は難易度を増した。

そして石川県のでの目撃情報。阿部レポーターは石川県まで飛ぶ。父親が万博会場から持ってきて営業していた方の男性を取材する。そこで明らかになった事実は?















# by banpakutantei | 2020-02-03 03:46 | 万国博 | Comments(0)

2020あけましておめでとうございます。

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大阪万博50年。今年もよろしくお願いします。さて構想数年。新春の縁起物オリジナル万博熊手作りました。

ここ数年、毎年酉の市で熊手を購入している。毎年一回り大きいサイズを買っていくのが良いのだそうだ。初めて買った時、七福神、お福さん、小判、翌年の干支、黄金の小槌、宝船、お神輿、米俵、招き猫、お目で鯛、かぶ、升、大入り袋などなど縁起物と言う縁起物をこれでもかと配置したデザインに魅せられた。それはまさに縁起物の万国博。

「いつか大阪万博だらけの熊手を作ってみたい。」本来新しい熊手を買うと古いものは納めるのだが、かなり前に買ったもので丁度良い大きさのものを取っておいた。太陽の塔を置いた場所には神輿があった。



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脇はタイムスリップグリコ”万博編”等々で固めた陣営。うしろは通常梅を配置するところ、万博桜。提灯は熊手の為にわざわざ製作した。一番のこだわりは笑う門には福来る。「笑門」の札、と「笑いの世界」ガスパビリオンを掛けたところ。

折角なので万博工作(と言ってもタイムスリップグリコなどを使ってのものだけど)を振り返ってみる。リンクが多くてすいません。先ずはペプシのボトルキャップ。作ったのは多分2000年より以前。ブームになる程色々なものが登場したけど、大阪万博は無かった。無かったので作った。太陽の塔のミニチュアを付けただけの物だけど、いかにも本当に有りそうな雰囲気。いつか大阪万博編が出ないかなぁ。って思った。2005年タイムスリップグリコ大阪万博編が登場した時は相当嬉しかった。




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太陽の塔を白く塗る。今でこそ精密な太陽の塔が登場しているけど当時白く塗られた大型太陽の塔と言うと約40万円のものしか無かった。他の大型の太陽の塔は当時テレビの景品として付いてきたブロンズ”色”の太陽の塔。今でもオークションに多数出品されているテレビを買うと貰えた通称「高雄の塔」。

これはこれで良いのだけど、やっぱり欲しいのは白いザラザラ太陽の塔。これも「無ければ作ろう」の前向きな精神で塗ってみた。オリジナルは避雷針が無いのでこれも作ってみた。海洋堂のが出るまではは最大のものだった。

「高雄の塔」を塗ってみて解った事。「高雄の塔」はブロンズでは無くブロンズ色(青銅色)に塗装された物と言う事。ぱっと見はブロンズ製に見えるけど実際は青銅色に塗装された鉄の鋳物。本来のブロンズは銅と錫(すず)を混ぜた合金だけど、これは磁石が付く。

表裏で二分割で鋳造したものを溶接で付けてある事。黄金の顔が少しいびつなのも鋳造で作っている為、バリを取ったりするとこんな曲がったラインとなったのだろう。

白では無くブロンズ色に塗ったのは製作数が多すぎた為、赤のコロナや過去の顔、緑のイナズマを入れるには困難だったのでは無いかと言うのとブロンズ色に塗ってしまえば色々アラが目立たなくなるのと高級感が出たからなのだろう。

白くザラザラに塗った太陽の塔は2006マニアエキスポに展示された。過去のブログ「太陽の塔を塗る」はこのあたりから、しばらく続く。
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2018年太陽の塔内部が常時公開された際、「高雄の塔」の復刻版がソフビで発売された。左上の丸いシールには「2018体限定 ブロンズ 彩色仕上げ」と書いてある。2018年にちなんだ限定2018体のブロンズ仕上げのソフビ。私も2018体分の1体を所持している。未開封なのでシリアル№が入っているかどうか解らないけど多分入っていない。限定とするならばシリアル№を入れて欲しい。

シリアル№が入っていたとしたら一番価値のある数字はやはり「1970」だろう。あの時約40万円限定30個桐の箱入りの太陽の塔。最近見ないけど全部売れたのだろうか?
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万博神社。太陽の塔を崇拝するものとして、この塔はもはや祈りの対象となっている。ならば祀るしかない。と思い作った。現在でも小田原万博資料室、別名大阪万博の館にある。

本物の漆で塗装された戎宮には太陽の塔を祀る。奈良東大寺大仏殿と同様、新年だけ黄金の顔が拝める構造とした。万博エヴィスQを作るはこのあたりから。調べてみれば2008年の建立なのでもう10年以上も前になるとは...しみじみ。

現物は箱と絵札数枚だったけど万博かるた って言うのも作ったなぁ。”あ”から”ん”まで埋めていく壮大なテーマに挑んだけど未だ空白が多数ある。





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いつの頃かスノードームの中にある世界観に魅力を感じ色々と購入してきた。日本の土産店で見かけるものは海外の土産店で買ってくるものに比べいまいち。海外土産のドームは多分中国製だけど日本のものは日本製なのかなぁ。中国製の方がレベルが全然上。きっと有名なメーカーがあるのだろう。

で、これも無かったので作ってみた大阪万博のスノードーム。タイムスリップグリコが無かったら出来なかった。

小田原万博資料室内スノードーム研究室で一番のお気に入りはジェラシックパークの世界感を再現した写真下のもの。これは一般に販売されているものの倍位の大きさがあってUSJの2001年開園時の頃に売られていたもの。




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写真裏側にはジェラシックパーク入口の門も再現されている。当時いっしょにETのものも売っていて、これも今となれば買っておけば良かったなぁと思う。ジョーズのものは無いのかなぁと探したけど、売り切れだったのか元々無かったのかは解らない。ハリポタのスノードームなんて販売してくれたら即買う。

USJのお土産って欲しいものが無くて何とかならないのかなぁって思っている。ジョーズなんていつも同じものばかり(に見える)しテコ入れして欲しいなぁ。ジェラシックパークのパトロールカーのミニカーなんて長年何故売らないかなぁって思っていた。近年Amazonで見つけて買ったけど昨年のパークの売店では見かけなかったなぁ。

また構想中の万博工作が完成したらアップします。あっその前に構想中の「無いから作るUSJ土産」のが先かも。

# by banpakutantei | 2020-01-27 02:33 | 万国博 | Comments(0)