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カウントアップ EXPO70パビリオン公開から88週。

d0065737_14555975.jpg如何わしいポスターと手書き看板に、そそられ昭和館地下への階段を何度か降りたのは30年以上前の一時期。近くの新宿国際にも行った。

未だビデオも無い時代。純粋に如何わしい映画を見に行く人も沢山いた筈。只実際の内容は期待した程、如何わしいものでもなかった。

しかし...知らぬとは恐ろしい事で...。その空間が展展展展展展展展の場でもあったと知ったのは、ずっと後になってから。まさかあの闇の中に...。或いは闇の中で...。売○婦の方は何度か見た。ある時、前方座席下の照明の下を横切る黒い物体。

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「ゲゲっ...まさかネズミ?」飽きてきたのもあった。以来その地下空間へは行かなくなった。

そんな如何わしい場所に行かずとも家庭でビデオが見れる時代が来ていた。如何わしいビデオを見る為、いや純粋にプロレスを録画する為にビデオを買ったのはそれから約一年後。120分テープが未だ¥4000もする時代だった。

ルミネが出来て南口の階段も一新され当時より少し綺麗になったあのエリアだけど新宿国際だけが相変わらず如何わしいポスターと看板で異彩を放っている。で...”新世界紀行ふたたび”の行方は?取敢えず続く...。
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by banpakutantei | 2011-11-20 20:31 | 東京 | Comments(0)

カウントアップ EXPO70パビリオン公開から87週。

d0065737_0234279.jpg映画の集合看板と言えば、閉館した新宿昭和館入口脇にあった”任侠の壁”。真ん中縦三本が最終ラインナップ。昭和館最終上映は上段真ん中の「”兄弟仁義”逆縁の杯」。

新宿昭和館が閉館して来年で早10年。長く漬け込んだ画像を引っ張り出してきた。閉館の年から更に下る事20年と少し前。

当時は未だ新宿には数回しか来た事が無かったので、どうやって甲州街道下に辿り着いたのかは憶えていない。

未だルミネも出来てなかった南口周辺は歌舞伎町とも又違った独特の雰囲気があった。
d0065737_03873.jpgあの春近い冬、雨降る怪しげな、あの辺りをトボトボ歩いていた話はいつかのブログで少し書いた。

トボトボと”任侠の壁”の前を通過し、トボトボと昭和館の切符売り場前を通過し、その先で切符を買い地下への階段をトボトボと降りた。

トボトボと歩いていた日から下る事、更に数年。中学の時に実家の部屋に貼った藤純子の大きなポスターは今もそのまま。

02年4月30日、新宿昭和館最後の日、新宿昭和館”地下”も閉館した。新宿昭和館最後の日を検索すると、いくつか出てくるけど新宿昭和館”地下”最後の日の事は出てこない。
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by banpakutantei | 2011-11-17 01:26 | 万国博 | Comments(0)

カウントアップEXPO70パビリオン公開から86週。

d0065737_0325194.jpg中央劇場、オリオン座、東映、東宝、日活、ネムレ、オークラ、御幸座。小田原の人にしか解らないけど高校位まで市内には結構映画館があった。

大阪万博の映画は学校の映画教室で見に行った。良く行ったのは洋画の中央とオリオンだったけど、小田原では封切り映画が組合せて上映されていて東京で一本見る金額で二本見る事が出来た。

目当ての映画の同時上映が必ずしも見たい映画とは限らなかった。中学の時、中央で「チャップリンの独裁者」とナタリードロンの「新・個人教授」なんて組合せもあった。

目当ての「新・個人教授」が始まる前に上映された「独裁者」は子供には退屈だったけど目当ての「新・個人教授」の目当ての部分が来るまでも結構退屈で...。

d0065737_0332516.jpgまだか、まだかの「あの場面」も結局、期待した程でも無く美しいテーマ曲だけが印象に残る。

2003年7月。前回書いたこれが多分最後の小田原の映画集合看板。昔は最初に書いたいくつかの映画館のポスターがこの場所にはまっていた。一つ消え、二つ消え最後はシネコンに変化していたオリオン座と東宝のみとなった。

市外地のショッピングモールには大きなシネコンが出来ていた。そのシネコンは一本の値段で一本方式だったけどオリオンは昔ながらの二本立てだった。

だから上のポスターのどれかとどれかが一本の金額で見れた訳だ。この月オリオン座が閉館となりこの看板本体も消え後に東宝も閉館となった。取り敢えず...続く。
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by banpakutantei | 2011-11-06 01:28 | 大阪 | Comments(0)

カウントアップ EXPO70パビリオン公開から 85週の2。

d0065737_1183556.jpg年に何度も来る事の出来ない私の様な者にとって、この様な映画の看板が新世界にあると嗚呼...味があるなぁって感じても、毎日の様に来てる人にとっては「嗚呼...またこの映画か...これで何度目だ?」って感じなのだろう。

でも映画の集合看板って本当に見なくなった。小田原にも子供の頃、7~8軒の映画館があって街に何箇所もこんな集合看板があった。

おじさんが自転車でやって来ては刷毛で糊をベタベタって塗っては前のポスターの上に「ちゃちゃ」って貼って「ちゃちゃ」って走って行ったものだ。


d0065737_1185684.jpgポルノ映画を上映している館も3軒程あって子供には刺激の強いポスターもそんな中に混ざっていたりした。ビデオなんて無い時代。「早く18歳になりたい。」って思っていた。

最後の集合看板を確認しているのは2003年。只それは数軒の映画館が集まっていたものでは無く、シネコンのそれだった。

取り敢えず.....続く。
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by banpakutantei | 2011-11-02 01:26 | 大阪 | Comments(0)