<   2008年 08月 ( 3 )   > この月の画像一覧

トッピー船窓定点観測~2。

d0065737_2053089.jpg
乗船から約30分。トッピーは快調に進んでいる。

窓の外の風景は変化している筈だが私には同じ景色に見えた。

今が冬ならばまた風情も違ったのだろうが空は思いっきり夏色。どうイマジネーションを働かせても演歌な気分に浸れない。

一体、何を求め、何を目指し未知なる島に向う?釣り?サーフィン?宇宙センター?

答えはノォだ。鉄砲伝来?少し近い。
[PR]
by banpakutantei | 2008-08-15 23:18 | 万国博 | Comments(0)

トッピー船窓定点観測。

d0065737_14581644.jpg鹿児島港から、いよいよ種子島へ。高速船トッピーは進む。トッピーの愛称は多分トビウオから来ていると思われる。

甲板に出て潮風で顔がベトつきながらも、風を感じる船旅を想定していたが時速に換算すると約80キロで走行するトッピーでは座席必着席、シートベルト必着と言う想定外の船旅となった。

のんびり優雅なクルージングどころか、座席に縛られて割りと窮屈な状態。幸い船内はガラガラだったので良かったが、乗客は甲板に出る事は出来ない。

窓からの殆ど変化の無い景色も次第に飽きてきた。此処での特等席は窓側では無くて船内に据えられているテレビの前だって事に気が付いた。

退屈な船内では、小学生の頃通っていた習字教室での出来事を思い出しながらまどろんでいた。前回のブログ内のシンガポール館補足の焼き直しの様になってしまうが、知っている人の中で万博一番乗りをしたのが、この教室のおじいさん先生だった。

次の教室で先生は生徒を集め、買ってきたお土産を机に広げ、万博の話をしてくれた。その話を、わくわくしながら訊いていた。

日本館の文字は全国小中学校児童生徒より公募した最優秀作だそうだ。凄く上手い。先生は日本館に行かなかったのだろう。”日本館”の文字はその日のお手本とはならなかった。

もしあの文字を見ていたら「君達なぁ、君らと同じ年代で、ここまで書けるんだ。自分の国の名前くらい上手く書ける様、もっと練習しなさい。」

「今日はこの”日本館”と言う文字を練習します。お手本は先生の大切な記念品だから墨で汚さないように」と日本館のパンフレットをビニールに入れて渡された事だろう。

「○○君(私の事)もなぁ、犬って字だけ上手く書けてもても駄目だぞ。」当時私が唯一上手く書けた文字、それが”犬”と言う文字だった。大の右上の微妙な位置に点を書くのが得意だった。にも係わらず”太い”の点は良い位置に着地させる事が出来なかった。

「”犬”だけだったら級をあげてやってもいいんだが...」良く言われたものだ。

当時習った習字の技能は現在何も残っておらず..と言うか何も習得出来なかったのだろう。冠婚葬祭で記帳する度にスラスラと書ける人に憧れる。

あれから38年、当時の御年齢から考えると先生はもう天国におられるかも知れない。

あの時、先生が万博で買ってきて皆に自慢した万博土産は今でも先生の家に残っているのだろうか?大阪万博日本館の補足はこちら。
[PR]
by banpakutantei | 2008-08-11 01:09 | 万国博 | Comments(2)

シンガポールと言えばタイガーバームガーデン。

d0065737_1213731.jpgその後訪れたのは人生初鹿児島。巨人の星 左門豊作は鹿児島出身だと勘違いしていたので 今回は巨人の星つながりの旅でもあるなぁと思ったが、実は彼は熊本出身だった。

彼の闘争心が爆発するのは桜島の噴火の如くではなく、火の国、阿蘇山の噴火の如くであった。涼風を運ぶ流しそうめんの如く、よどみ無き流れとはいかないものだ。

ところで折角宮崎に来て 行けなかった場所がある。シンガポール館”跡地”。ここ九州宮崎にもかつて万博会場から移築されて来たパビリオンがあった。それがシンガポール館。

場所は県立青島亜熱帯植物園内で1990年頃まであったそうだ。跡地には多分、何もないのだろうが、せめて移築された雰囲気だけでも知りたかったが時間が取れなかった。

しかしシンガポール館と言っても、そこはシンガポール熱帯植物園のミニ版を万博会場に再現しようと計画されたもので敷地内の殆どが庭園となっていた。

シンガポール庭園とも呼ばれていて、その中に建っていたヤシの葉を葺いた簡素な木造の建物3棟がシンガポール館のパビリオンとなり、その特徴をなすパーツは本国から運ばれたヤシの葉と言う事になる。このパビリオンに関しての万博の化石は”ヤシの葉っぱ” なのである。

植物園のサイトにある”昭和40年10月に日本国内で初めてシンガポール植物園と姉妹園として締結された”との記述がシンガポール館が宮崎に移築された理由と思われる。何もないだろうと書いたが、その時持ってきた植物は園内に残っている可能性は高い。少なくともその種は園内のどこかに生延びていそうだ。当時園内にいたワニ、クジャク、カメの本体もしくは子孫もどこかに生きているかも知れない。

この熱帯庭園の樹木類は検疫の関係で国内で調達され鹿児島指宿市から運ばれてきたものが多かったそうだ。指宿唐船峡(とうせんきょう)は、流しそうめん発祥の地でもあるそうだ。

夏の博覧会、パビリオンに入り、しばしの涼を感じる。そのしばしの涼は、このパビリオンとは無縁だった。入口をくぐると、熱帯庭園が広がっていた。庭園には人口の滝、小川、池が配置された。そこにスロープを付け半割りされた竹が無かっただろうか。

竹製ウォータースライダーを涼しげに流れる生糸のような白い物体。熱帯の暑さを飛ばすサッパリとした、のど越し。樹木といっしょに、そうめんも持って来なかったのだろうか?看板には”シンガポール館名物 元祖指宿流しそうめん” とは書かれて、いなかっただろうか?今となってはその真偽は不明である。

シンガポール館補足はこちら。

降りた鹿児島駅はえっ、これが鹿児島駅なの?という印象だったが賑やかなのはその先の鹿児島中央と言う名の駅だった。成る程、書いて字の如く、鹿児島の中央と言う訳だ。だが折角の人生初鹿児島も只鹿児島ラーメンを食べただけのほんの小一時間だった。

目指す地は更にここから船で一時間半の場所に位置する。鹿児島港を後にし、流しそうめん発祥の地、指宿を右手に走る高速船。その先に、どんな巨人の星つながりがあるのだろうか?
[PR]
by banpakutantei | 2008-08-04 00:28 | 万国博 | Comments(2)