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大晦日~”津軽海峡”より聴きたいのは”ホテル港や”。

d0065737_14395575.jpgとうとう大晦日。休みに入り、嫁さんが待ってましたとばかりに目の前に積んでいった家庭の仕事の山をこなしながらパソコンに向うのは非常に困難な作業でもある。この期に及んで、そこを掃除、ここも片付け、あそこに買出し等々。

先程、浴室の入念な手入れをしながら考えた。「そうか これは修行なんだ。修行ならば仕方ない。多少荒行ではあるが..。新年を迎えるにあたり体を清める風呂を先ず清めろって事か」と魂を込めて磨き上げた。

日本の偉大な作詞家 阿久悠さんを偲んで今年の紅白で石川さゆりが唄うのは予想通り「津軽海峡冬景色」だ。彼女にとっても、今年はこの曲しかないだろう。

今年も”ホテル港や”は聴けなかった。これも阿久さんの作品。そして和田アキ子が唄うのも予想通り「あの鐘を鳴らすのはあなた」。今年の初め、名古屋出張の際 岡本太郎の ”あの鐘”を鳴らしにいった。

あの鐘は久国寺という寺にあった。正式名は歓喜の鐘。いやぁ凄い。欲しい。ハリネズミの様な外観。トゲトゲの鐘。これの小さいのを叩きながら「芸術は爆発だ」って言っていた。折角来たのでこの鐘を突きたくなった。しかしこの寺院に人影は無い。詰め所のドアも鍵がかかったまま。「どなたか、いませんかぁ~」「トゲトゲの鐘を叩きたいのですが...」

シィーン...静寂が流れる。「たのもぉぅ」...シーン。「すいませぇん どなたもいらっしゃりませんかぁ?」シィーン。「どなたもいらっしゃらない様ですが 鐘を突いても良いですかぁ?」シィーン。「どなたもいらっしゃしませんね」 シィーン。「いらっしゃって、駄目と言われても困りますが、いらっしゃらないので、突かさせていただきまぁす」

それでは...と突いたトゲトゲの鐘。ごぉおおぉおおぉぉぉぉぉん。響く。遠慮がちに突いたが静寂を揺らす予想以上に大きくシッカリとした音色。今年もあと僅かで、あの寺院の周辺にも108つの歓喜の音色が響く。近所に住んでいたら毎年絶対に突きに行くだろう。108つは煩悩の数と言われているが大阪万博パビリオンの数にも近い。一つ鳴る度にパビリオンの名を一つ唱えるのが万博者の年越しとなる。よいお年を。

 あまりコメント付けてないけどトゲトゲの鐘の補足はこちら
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by banpakutantei | 2007-12-31 17:38 | 万国博 | Comments(2)

奈良旅行の帰りにイルミナイトを見る。

d0065737_2442843.jpg書き出しては眠ってしまう日が続く。更新頻度が低くなってくると全く意味を成さない時期に書くかお蔵入りになってしまうかのどちらかになってしまう。今回の”イルミナイト万博”なんてこの時期に書かずに何時書くのだって事柄だ。順番通り書いていくと”春の桜祭り”を通り越し”鈴虫の夕べ”辺りの時期に書く事になってしまうのかも知れない程のペースではある。 

イルミナイト万博。クリスマスジャストインタイムの話題(書き出した頃は...emoticon-0139-bow.gif)。四万個の輝き。万博公園初のイルミネーションイベントなのだそうだ。ここ数年世の中にすっかり定着したイルミネーション。街を歩けば 至る所でピカピカしている。

イルミネーションはこの時期の集客には不可欠なものとなり、その分少しくらいのピカピカでは感心しなくなっている。家をピカピカさせる家庭も増えているが肝心の家主が家の中から見る事が出来ないのが難点なのではないかと思っている。

かく言う我が家も10年位前からイルミネイトしている。さすがに家の屋根から壁から塀からズラズラっと下げたりはしないが毎年何かしら買っていった処、それなりのボリュームになった。でも数が多いと片付けるのが凄く面倒で暖かくなる迄、そのままにしておく時も多い。

”イルミナイト万博”の目玉は何と言ってもスイス館 光の木の一部復活。光の木がいくら綺麗でも、閉幕後は解体され姿を消した。その一部が残され記念館に展示されていたそうだが、いつの間にか撤去され、奥の院に死蔵、いや秘蔵されたままとなった。解体された三越レストランでの目撃情報もあったが近年は鉄鋼館に保存されているとの噂だった。

私にしてみたら今回の光の木の復活は”あまりに唐突”と言えば”あまりに唐突”、”ある日突然”と言えば”ある日突然”でもあった。連続開催されているマニアエキスポでも何故か展示されず、何か展示されない訳でもあるのかと考えていた程でもあった。製作準備を考えれば、以前から企画されていたのだろうから突然と言うのはあくまで”私にとって”ではあるが...約32000個の光の一部が復活するなんて。

光の木は”光ってこそ...”、”光らせてこそ...”と言う位置づけだったのだろうか?秘蔵していたのは、光の木を別格の万博遺産、記念機構の秘密兵器として眠らせていた為と解釈した。しかし10月、11月と続いた万博イベントを見に行った身としては3ケ月連続での大阪行きは非常に困難。でも書けば非常に長くなるこの困難を乗り越え、たどり着いた万博公園。

残っていた光の木に32000個分の輝きの力を感じた。ファインダー越しには37年前が蘇っていた。その姿は言わば千手観音(せんじゅかんのん)。長い眠りから覚めた秘宝は秘仏となり復活した。その手から発する光はどんな願いでもかなえてくれそうでもあった。「そうか、この光が我をここまで導いてくれたのか...嗚呼ありがたや...」秘仏となった光の木に今度会えるのは何時だろう。

普段入る事の出来ない芝生にちりばめられた、イルミネーションは当時、宝石箱をひっくり返したかの様な会場風景へのオマージュ。その一角にはこのイベントの為に製作されたソ連館のミニチュアもあった。太陽の塔をツリーにしてデコレートするなどと言う行為はさすがに無かったが夜になっても存在感は圧倒的で全てのイルミネーションは太陽の塔の為にある感じすらあった。37年前と方向は逆だが、その姿はお祭り広場での祭事を見守っているかの様だった。

そんな太陽の塔に全く無関心の人間が私の傍らに存在した。拝み倒して付き合ってもらった嫁さんであった。塔を見るのは今回で二度目。私にとって太陽の塔とは別の意味での神でもある。「大きい事は大きい。でも、どこが良いのかサッパリ、理解不能。」

「考えるな。感じるんだ。」映画”燃えよドラゴン”における有名な格言である。しかし神にとって別の神は存在しないし光の木の輝きもへったくれも無いのである。「それが、どうかしたのか?」って事である。「まぁ青い光のゲートは綺麗だったけど、ここまで電車に乗ってわざわざ来る程のものでも?って感じ...ああ寒っ。風邪引いちゃうから、さあ帰りましょう。」
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by banpakutantei | 2007-12-30 04:54 | 万国博 | Comments(2)

こんな処にショップタワーのテッペンが。

d0065737_11164464.jpg2007年マニアエキスポ初日の翌日、早朝の新世界界隈から飛田新地付近を散策中...飛田新地を散策中とは言わないか...まぁ早朝なので 朝の散歩って感じで...。その入口付近に懐かしい形状の物体が...タワーふもとに建っていたショップタワーのテッペンに似た物体。おぉ こんな処に...実は子供用の遊具。

ショップタワー(スナック売店)は2002年10月 エキスポタワーの解体直前 姿を消した。万博開催当時、案内所とか売店だったと言う他は殆ど情報の無い建物で、色々な書籍を見てもその構造に関しての記述は無い。単体でその上に付いていた枠組みの部分がタワーとリンクしていたのか、タワーの材料の余りだったのか幾つかの疑問点は未だ解らず仕舞い。

ついこの間の出来事と思っていたけど、あれからもう5年も経ってしまったんだ。10年ひと昔と言うけれど、ひと昔までの半分を既に来てしまった。万博記念公園に行っても、タワー階段を登らない事もある。エキスポランドの再休業も決定し、付近を通る人の数も益々減って行き、このエリアも更に忘れられた存在になって行くのだろう。

しかし、このエリアの太陽の塔の正面にある万博工事で亡くなられた方の慰霊碑の存在は忘れられてはならない。華やかな万博を伝える紙面の一部に載った、合同慰霊祭の様子。開幕直前、小雪がちらつく慰霊碑の前で行われた慰霊祭は万博に暗い影を落としていた。

既に忘却のエリアとなっているタワー跡地付近の人影はいつもまばら...それでもエキスポランドの営業日には園内からの歓声やBGMが聴こえてきたものだ。これからは、今迄より更に静かな時を刻むのだろう。

本日見たテレビに太陽の塔が盛んに映し出されていた。おぉ..っと見てみれば独立行政団体の見直し候補の一つとして日本万国博覧会記念機構が挙がっている為だった。何より驚いたのが機構側が反対意見として「民営化すると記念公園の森林やそこに住む生き物の維持管理が難しい云々」と回答したと報じているのを聴いた時だ。

閉幕後、万博跡地は緑豊かな公園となり憩いの場となった。でも肝心の万博遺産は次々と消えて行った。民営化反対意見として「万博遺産の維持管理は我々でなければ出来ない」とは確かに言えないかも知れない。

しかし何度も書くけど、言うほどに痛んでいなかったであろうエキスポタワーを何で壊してしまったのだろう。(美術館やホールもそうだけど)階段を登り、空を見上げてタワーの幻影を想像してみるも最近はそのままの空しか見えない。
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by banpakutantei | 2007-12-10 00:39 | 万国博 | Comments(6)

万博神社。

d0065737_2042998.jpg昨年、はみぺんさんから江坂に万博の文字が刻まれた石碑があると教えていただいた。

場所は素盞嗚尊神社 (すさのおのみこと)神社と言い読むのも書くのも憶えるのも難しい名前の神社。一般に江坂神社と呼ばれ、江坂の氏神様、産土神様として広く崇敬を集めているそうだ。

はみぺんさんからは「ほんま、只(ただ) 万博と刻まれているだけですから...」と言われたが、”只刻まれているだけ” の”只”がどんな”只”なのかを確かめに行ったところ、おっしゃられた通り 只 ”日本万博記念”と”刻まれてるだけ”の石碑が建っていた。

大阪の町のいたる処に万博の文字が踊っていたであろう37年前。例えば”万国博であいましょう”とか”万博指定旅館”など万博の文字が入った当時の看板などは絶滅状態にあり、奇跡的に残っていたとしても、その存在を知るには”偶然”程度では不可能に近く”奇跡的に残っていた万博看板の存在を知っている人と奇跡的に出会い奇跡的にその話題になった”位の奇跡の確率でしか知る事が出来ない。インターネットと言う網に引っ掛かるのを待つばかり。

そんな意味からすると神社に万博の文字があるだけでも”只ならぬもの”との認識をした。本来ならば”日本万国博覧会記念”となるのだろうが刻まれた”日本万博記念”の妙に中途半端な六文字が刻まれた石碑。万博と略すならば頭は大阪、大阪万博とした方がピッタリくるが...。横には昭和44年5月吉日と記されている。

大阪万博を記念して、この後ろにある石柱の奉納を募ったのだろう。その石柱に刻まれているのは当然 奉納された方の名前で 決して各パビリオンの名前ではない。併せてここに参加国、参加企業のパビリオンの名前が刻まれていたとしたら... 字の如く万博記念となった筈。

先着順に好きなパビリオンの石柱を選び、その横にそのパビリオンと全く関係の無い寄進者の名を刻む。”アメリカ館 奉納 ○○町 ○○太郎。”とか”カナダ館 奉納○○市 ○○工業”とか..参道にパビリオンの名が刻まれた石柱が並ぶ光景はシュール以上のシューレスト。通称 江坂神社が万博神社と呼ばれたかも知れない。
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by banpakutantei | 2007-12-03 01:25 | 万国博 | Comments(0)