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ドリームランド跡地の今。

d0065737_14202291.jpgドリームランド跡地の工事は延々と続いている。エンドレスの様にも見える。”ドリームランド跡地”となってから、もう何年が経っただろう。工事はずっと続いているが建物らしきものは建っていない。

現在は野球場の工事に入っている様だ。以前本編にも書いたがドリームランドの遺構は一切残っていない。結局この場所は墓地、野球場、公園の複合施設となる。

エンパイアは薬科大学に。墓地、野球場、公園、薬科大学そして..写真の春日神社。

此処は横浜ドリームランド創業者松尾國三氏が、ドリームランドの発展を願い奈良県の春日大社から分霊を受けて「ドリームランド春日神社」として建立した由緒ある神社。

夢と冒険の王国ドリームランドの西洋的な雰囲気に隣接する純日本的な風景は決して交わる事は無かったがデパートの屋上遊園地脇に建つ御稲荷さんや鳥居をイメージさせた。その後、神社とドリームランドとは組織も切り離された為ドリームランド無き後も残っている。

境内にはシカが飼育されていて鹿せんべいも売っている。食べた事が無いのでどんな味がするのか又このせんべいが、何処で作られているのかも、わからない。本場奈良からの直送品か?

最近は世界遺産知床でのエゾ鹿の大繁殖、関東では高速道路への侵入等、あまり評判の良くない鹿だが、ここでは神の使いとして崇められている。

エゾ鹿に鹿せんべいを与えたら木の被害は少なくなるだろうか?悠久でゆったりとして、まったりとした時が流れる神社の奥には、ドリームランドのゴミ箱が残っていた。
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by banpakutantei | 2006-11-25 15:17 | ホテル エンパイア | Comments(0)

エンパイアの今。

d0065737_144953.jpgラオス館の今は既に冬支度で尚一層ヒッソリとしているだろう。改修への新たな妙案は出てこないが突然エンパイアの今である。

エンパイアについても昨年工事中の様子を書いて以来宙ぶらりんのままだったが時々は見に行っていた。

で今はこんな感じ。相隣が無くなり最上階の部分だけ創建当時のまま残ったが下がビルの様な感じに姿を変えた。

メカゴジラのイメージ。どこから見ても頭でっかち。どうなんだろう?予想したイメージ通りなのだろうか?

エンパイア周辺は現在、薬科大学が開校しておりエンパイアは図書館として機能している。最上階は展望室となっているらしいが、21階全てが図書館及び自習室なのだとしたら凄い。リフォームなので館内のどこかには元エンパイアの名残が残っているに違いない。

大学のサイトの写真には元エンパイアの姿が随所に見られ姿は変貌してもこの場所のシンボルである事に変わり無い。

入り口には迎賓館を思わせる立派な門も作られ中には噴水も見えた。この門だけでも何百万(もしかしてそれ以上?)もするだろう。エンパイアの絢爛豪華さは立派に受け継がれている。

サイトを見ていて驚いた事が更にあった。何と元ドリームボウルが残されていたのだ。建物が改修され残っているのは外からでも確認出来るが、まさかボーリングのレーンまで残っていたとは!キャンパス内にボーリング場。

1ゲーム200円。ストレス発散にどうぞ...凄い。羨ましい。ここの学生になりたくなった。レッツ薬剤師。だが如何せん今からでは無理。

子供をこの大学に入れて薬剤師にさせたらどうかと考える。6年制の大学だそうだ。卒業迄、一体いくらかかるのかを考えないで書いている。エンパイアの改修費や、この立派な門の建築費の一部も当然、入学金や学費に割り振られているだろう。

オープンキャンパスも開催されているらしい。親として同伴し参加すれば元エンパイアの中を見学出来るのだろうか?展望室からの絶景を見てみたい。私の様な人間の頭につける薬の処方箋は?
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by banpakutantei | 2006-11-16 02:18 | ホテル エンパイア | Comments(2)

ラオス館の今。

d0065737_0431077.jpg長野県霧が峰に残る昭和寺ラオス館については本サイトでも二度に渡り紹介している。

数年前、万博閉幕時の新聞記事に書かれた「長野県霧が峰に移築予定」の一行を頼りに訪れ、それが本当だったのを確認した時の興奮は今でも忘れられない。

ほぼ当時の姿をしたまま残るパビリオンはもう数少なく、大変貴重な建物だ。

かれこれ4.5回訪れたがいつも無人で、是非内部に入りたいと思っていた処、今年の夏やっと本堂に入れてもらえる機会に恵まれた。

本堂には当時古河パビリオン前に奉られた本尊が安置され、外された当時の入り口ドアなど館内にあった品物も数点保存されていた。

今年は隣にある研修施設の一部と本堂(ラオス館)の回廊の一部が改修されていた。確かに以前訪れた時回廊の床は抜けそうになっている部分もあり他の部分の状態も良く無かったのを記憶している。

本編で三度目のラオス館をポツポツと製作中の数週間前、この昭和寺世界平和同願会の方からメールをいただいた。この会は一切の檀家を持たず人々の僅かな寄付と手持ちの資金で戦没者の方の慰霊、世界平和のみを祈願し寺院を維持してきた。

しかし資金不足の為、本堂であるラオス館の改修が出来ず維持が困難になってきた為、広く寄付を募りたいと言う。ご自身も年をとり、このままでは解体する事になってしまうかも知れないらしい。内部に入らせて頂いた時、本堂は雨漏りと床の腐食が顕著だった。

私に何か出来る事は無いか?私が僅かばかり寄付しても何の足しにもないそうもない。サイトで寄付だけ募っても効果は期待出来ないだろう。

資金捻出の良い案は無いか?と思い付いたひとつのプラン。これならば...と期待したが早々に挫折してしまった。このまま、朽ちていくのを待つだけなのだろうか?何も出来ないが取敢えず現状を書いてみた。
昭和寺のサイト
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by banpakutantei | 2006-11-07 02:08 | 万国博 | Comments(0)

ミュンヘンへの道~その2。

d0065737_2126552.jpg子供の頃、亀が好きだった男子は多かったのではないか?私も結構好きで飼っていて「亀って何て可愛い動物なのだろう」と思っていた。

しかし理由は忘れてしまったが、ある時を境に亀が苦手になってしまった。だから伊豆のアンディランドには未だ行ったことが無い。

亀好きな知り合いがいるが、彼の亀への愛情は深く、亀の世話をする為に何かを切り上げてでも家に帰る程だ。

私の浅い認識では鶴は千年、亀は万年と言う位だから、それ程世話がかからない生き物の印象があるのだが...きっと彼は亀に早く会いたくて仕方ないのだ。

ミュンヘンへの道の途中、見つけた変な駅。亀の頭が屋根から出ていた。

駅名は亀甲(かめのこう)駅。亀の甲だから屋根に亀の頭を付けてみた。縁起も良いし。目には時計をはめてみた。丁度良いし。そんな感じだろう。

単線の為に待ち合わせ時間が3分あった。写真撮影の為のサービスと解釈した。わざわざ降りると次の電車は直ぐ来ない。

何かで見た記憶があったので帰って調べてみると結構その手の駅では有名な存在らしい。以前親が太宰治の旅の途中で土偶駅の写真を見せてくれた事を思い出した。

岡山への旅の目的は只ひとつ。ミュンヘン館を見る為のみ。「あんたは偉い」と言う方はごく僅か。

そんな只ひとつの目的の旅の途中で遭遇した亀首駅舎。それは折角此処まで来たのだからミュンヘン以外の思い出に「ブログに書けよ」と神様が遭遇させてくれた、ささやかな贈り物。

岡山桃太郎紀行の途中でキジや猿の代わりに登場した亀くん。「私も万博遺跡巡礼の旅のお供をさせて下さい」「ごめんね亀くん、君は歩みが遅いので連れて行けないんだ。電車に乗り遅れちゃうと帰れないし..それに僕は君が苦手なんだ..」

車両に戻り確認した処、屋根から尻尾はでていなかった。もしかしてこの駅舎だけを只ひとつの目的にやって来る人もいるかも知れない。いるに違いない。最大の賛辞「もの凄い物好き」と言う9文字を贈りたい。
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by banpakutantei | 2006-11-04 12:11 | 万国博 | Comments(6)

ミュンヘンへの道。

d0065737_071994.jpg10月29日零泊一日、岡山の旅。遂に大阪万博遺跡の旅は神戸を越えた。人生初の山陰山陽地方。それは遥かなるミュンヘン市館への旅路。ミュンヘンへの道だった。

小田原朝一番の新幹線に乗り、岡山駅から約2時間。1時間に1本あるか無いかのローカル線に乗り、1日に数本しか無いバスに揺られ、たどり着いた自衛隊日本原駐屯地。残っていたミュンヘン館は予想以上に大きかった。思っていた以上の長さだった。

壁面に残るMUNCHENのロゴは多分当時のものだろう。(これは後日違う事が判明。)ミュンヘン館も忘れないうちに本編で、まとめなければならない。あぁ今年は殆ど更新出来ていない...

”ミュンヘンへの道”の主題歌は結構良かった記憶があるが1フレーズも思い出せない。思い出せる限りの選手の名前。猫田、大古、横田、嶋岡などなど...”ミュンヘンへの道”とは未だ男子バレーボールがメダルを争う程強かった時代に、関東では日曜日に放映されていたミュンヘンオリンピックへ向けた男子バレーボール番組。男子は見事金メダルを獲得した。出場すら出来ない現在では夢の話。

金メダルの勢いのまま当時、我が母校に松平監督が講演にやって来た。講演料も金と銀では大違いだった筈だ。崖っぷちに追込まれたブルガリア戦が話の中心だったと思う。となれば「最後まで絶対にあきらめるな」って内容だったのだろう。。何せ30年以上前の話なので講演の内容など全く憶えていないが、今日もどこかで行われているであろう様々な講演会で講演者は違えど、題目は変われど、話される内容の”よくある”テーマのひとつに違いない。
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by banpakutantei | 2006-11-02 02:57 | 万国博 | Comments(6)