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インディジョーンズ”魔球”の伝説

d0065737_147447.jpgブログに書いてる事は大抵一ヶ月から二ヶ月、あるいはそれ以上前の事で日記ではなく回想の様な性格だ。

地方のテレビ局が何週遅れで放送している番組の様なものだ。

稀に交通博物館の様な”ジャストインタイム”の事を書くと順番がややこしくなってしまう。

少し下の名古屋の翌日には大阪万博マルタ館解体一日前の姿を捉えているので、なるべく早く本編で書きたいと思っているが今は既に2年近く前の大阪万博地方自治体館遺跡の事を書いている途中だ。

で今回は一月に行った大阪の続き。何故に?と問われても一応順番に書いていかないとGWに行った大阪の話がおかしくなってしまうからだ。

先入先出しの管理。 三歩進んで二歩さがる♪人生はワン・ ツー・パンチ 。

曇天の寒い万博公園。美術館、ホール跡もすっかり整備され綺麗、サッパリ感が充実していた。単なる更地ではなくお金をかけていた。お金あるじゃん。って感じ。

使い方間違っていない?って問いたい位。美術館前にあったイサムノグチの噴水オブジェは少し場所を移動して生き残ったが綺麗にお色直しされてしまっていた。

結局美術館の照明は一部も保存されなかったのだろうか?美術館解体現場に立つヤノベさんを写した写真の後方には、グニャっと曲がったトラス状の照明が写っていた。

脱ぎ去られたピカチュウスーツが置かれた現場写真もあったがあれは何を意味するのか?イサムノグチから太陽の塔を見れば、インディジョーンズ・レイダース 失われた アークの岩玉を思い出す。
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by banpakutantei | 2006-05-28 03:38 | 万国博 | Comments(2)

さいごに交通博物館。

d0065737_15371428.jpg30年以上前は何処の観光地お土産売り場に行っても円形の記念メダルが売っていてその隣にはメダル刻印機が並んでいた。

当時少年のお土産の王道がメダルだった。今でもあるのだろうがその影は薄い。見つけると懐かしさを感じてしまうのはその為だろう。当時のお土産の一方の雄、観光ペナントは絶滅の危機に瀕しているらしい。

大阪万博でも各パビリオンのメダルが発売された。大人になった今、子供の時に持っていた数より多い万博メダルを所持している。

そんな懐かしさを感じるメダルと刻印機が交通博物館にあった。表が蒸気機関車、裏が新幹線のデザインとなっている。今思い出したが小学生の時に永谷園のお茶漬け海苔に安藤広重の東海道53次のカードが(勿論一袋に一枚)おまけに付いて多くの人が集めていた。コンプリート品が同時期何故かこの博物館でセットで売っていたがあれは何だったのだろう?

綺麗な”さ”つながりで”さいごに交通博物館”としたがタイトル趣旨は”交通博物館さいごに○○”だ。2006年 05月 14日 交通博物館最後の日。この日、此処を訪れメダルを買った人は交通博物館の思い出を心に刻み、裏側に特別な思いで、特別な日付けを打った事だろう。

5.15以降の日付けは来ない。日付けと共に刻むのは”SAYONARA”か”SARABA”か”FOREVER”か?はたまた無難に自分の名前だったのか?あまり凝ると収まりきらないので要注意だ。
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by banpakutantei | 2006-05-27 17:22 | 東京 | Comments(0)

さいたまへ交通博物館。

d0065737_0451339.jpg”さいたまへ”..流れる様な”さ”つながり。閉館した交通博物館の収蔵品はさいたま市に行くそうであるが今度は鉄道博物館と言う名前に戻るそうで鉄道以外のものがどれだけ行くのかは解らない。何れにしても鉄ちゃんの新しい聖地となるのだろう。

交通博物館が出来る前には(一時期は併設)万世橋駅と言うのがあって、その廃駅の遺構が残っており閉館に際し特別公開されていた。

これが予約制だとも知らず結局見ることが出来なかったのは結構心残りだった。博物館解体となった時この遺構はどうなるのだろうか?

写真は万世橋から秋葉原電気街を望む。万世橋と交通博物館、下を流れる神田川、向こうに見える電機街は一対の様な景色。ここから古書店街にアプローチする事も多い。

万世橋と言えば万世のカツサンド。天気の良い土曜日の午後。歩行者天国になった万世橋の上で万世のカツサンドを食べてる時はかなり幸せだ。

交通博物館の売店でも売っていて良く売れていた。(旨い)カツサンドは好きな食べ物のひとつ。生まれて初めて食べた時の記憶は無いが娘に初めて食べさせた時の記憶はある。
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by banpakutantei | 2006-05-21 02:15 | 東京 | Comments(0)

さまよいの交通博物館。

d0065737_0132368.jpg前のブログタイトル。”さすらいの交通博物館”~さすらいと交通博物館はあまり関連性が無さそうではないか...そうである。実は”さよなら交通博物館”と書こうとしたのだ。

だが待てよ。それでは、あまり芸が無いではないか。”嗚呼、愛しの交通博物館”と書く程、数多く訪れた訳でもない。単なる”さ”で始まる四文字にしただけ。今回は”さまよい”にしてみた。

前の写真の新幹線の辺りに万世橋交番はあったそうだ。おまわりさんの帽子の様な形をした建物は現在、江戸東京たてのも園に移築されている。

解体しないで運んだそうなので移動の方が正しいか。それ以前に一度、移動されている。その頃は交番として機能していなかったそうだ。

その場所が交通博物館の隣、ラジオガァデンの向かって右側だ..小さなパーツの店やジャンクショップが集まるテナントと言ったら良いか。

”ガァ”の表記が”いかにも...”だ。せっかくだから”ジ”も”ヂ”だったら更に”いかにも..”だった筈だ。ラジオガァデン。昭和のたたずまい。でも..私には何も買うものが無い。覗くだけ...。
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by banpakutantei | 2006-05-19 01:17 | 東京 | Comments(0)

さすらいの交通博物館。

d0065737_2350643.jpgおととい閉館してしまった東京交通博物館。敢えて東京と付けるのは大阪で交通博物館と言うとこちらを指すそうだからである。

ニュースでも大きく取上げられた。初めて行った小学生の時の事や息子が小さい頃連れて行った等々、幾つかの思い出があるが私にとっての交通博物館の強烈な印象は約二十数前の事...

学生の頃、歩いて山手線を一周するサークルの伝統行事があった。季節で言うと丁度今頃。土曜日の夕方、新宿を出発し内回り(渋谷~東京~上野~池袋)方向に山手線を歩き日曜の朝、新宿に戻って来るというコース。

確か距離は40キロくらい。電車だと約一時間で廻るところを約12時間以上かけて歩くのだ。これをこの時期三週間連続で3回、四年間で12回も歩いた。

同じサークルで15回歩いた人間を3人知っているので12回という数字(これには真っ当な理由があるが書くと長いので省く)を自慢する気は無いが一体、何を好き好んで12回も...何を好き好んで15回も...最初は東京をあまり知らない時期で街と街は点でしかなかった。それを線でつなげて歩くのだ。

東京駅で日付けが変わったと思う。コンビニなど殆ど無かった時代。ネオンも無い深夜のビジネス街を集団で黙々と歩く。あー未だ半分か。

次の休憩は上野。それ程疲れは無かったが、いい加減飽きてきた。とその時、目の前に現れたのがD51と新幹線の頭が付いた建物。付いたと言うよりも、建物から頭を突き出している様にも見えた。深夜の薄暗い闇に浮かび上がった両巨頭。それは、結構不気味でもあった。

な、何だ?これは!と辺りを見れば..ああ..交通博物館だったのか..(小学生の頃来た)交通博物館ってここにあったんだ...こんなの入り口にあったっけ?それ以来、毎度この場所を通過する度に深夜の新幹線の頭を見上げるのが楽しみになったのだった。

それが私にとっての交通博物館の一番の思い出。不気味な新幹線に見とれている間にいつも置いていかれてしまい深夜の東京を追いかけるのだった。頭に流れるは”太陽にほえろ!追跡?のテーマ”。
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by banpakutantei | 2006-05-17 02:13 | 東京 | Comments(0)

尾張名古屋の城で 待つ。

d0065737_12571460.jpgさて、愛地球博跡で愛地球博を探す旅の本日の宿は名古屋駅近く。仕事絡みで名古屋に来る事は多い。

それ程深く名古屋を知っている訳では無いがこの地へ来た際は太閤通口から奥へ奥へと歩いてみる。

ビッグカメラが出来たとは言え、駅から五分も歩けばここが東海の中心の駅近郊なのかと思える景色が広がっている。

駅西銀座。新幹線駅前商店街と呼ばれる通りを奥へ向かって振り返れば奥にセントラルタワーズがそびえる写真の様な風景が見える。

振り返らずに大通りを渡り更に進めば遊郭だった地区に入ってゆく。

知らずに初めてその磁場に入った時は”やっぱり”と思った。商店街に吹く風が妖しい磁力を帯びていたのは錯覚では無かったのだ。妖気の種類は違えどゲゲゲの鬼太郎の様でもある。

連なる駅西銀座と新幹線駅前商店街が同一なのか厳密に言えば地域で分かれているのか解らないがどちらもネーミングはバッチリである。

歩く雰囲気もバッチリである。何がバッチリであるかは説明しにくいが、とにかくバッチリである。

只、お茶を飲む訳でも無く、食事をする訳でも無く、買い物をする訳でも無い。「おぉ..」とか「ふむ、ふむ」とか「なるほど..」とか言って妙な処に関心し、妙な処を撮影したりしている。商店から見れば妙であり、バッチリで無い筈だ。
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by banpakutantei | 2006-05-14 13:46 | 愛地球博 | Comments(0)

カモンちゃんに愛に恋

d0065737_13215033.jpg今日で連休も終り。外は連休の終りにふさわしい寂しい雨。♪雨がしとしと日曜日♪僕はひとりで僕のブログを書いている。

連休最終日はいつも「あぁもう一日休みだったらなぁ」っていつも思う。

(3月)リニューアル間近のオーストラリア記念館。工事も急ピッチ。入り口の文字も取り外し中だが、今度は新しい名称となるのか?

展示室の主、カンガルー君は、どうしているか?と心配になり中を覗いてみると...オレンジ色のジャンパーのおじさんに「ちょっと、ちょっと...」と止められてしまった。「いや僕はちょっと、カンガルー君の事が気になって..」

別にカモンちゃん(最近知ったのだがこんな名前になったそうだ)が見たかった訳ではないし、てっきりどこかの倉庫で保管されているものだと...カモノハシをCOME ONと掛けた名前なんて愛知と地球を掛けた愛地球博並みに良いネーミングだ。

まさか既に搬入されているとは存じなかった。薄暗い展示室にその物体は妖しく横たわっていた。巨大カモノハシを内蔵した四日市の恐竜。

カンガルー君の行方は...それを確かめに交通不便のこの地に、またやって来るのはいつの日か..その時にカモンちゃんが埃をかぶっていない事を願う..
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by banpakutantei | 2006-05-07 16:47 | 愛地球博 | Comments(2)

巨大カモノハシって可愛い??

d0065737_16263474.jpg折角、名古屋迄来たのだから久しぶりにオーストラリア記念館を訪ねてみようと乗った伊勢行き近鉄電車。大阪万博の移築物件の中でも最大級のパビリオン。

小田原建築探偵でこの大阪万博オーストラリア館を”四日市の奇跡”と称したが、これを見る度によくぞ生き延びた..の感でいっぱいになる。"遺跡&化石&奇跡”の三拍子揃った大阪万博の生き残り。

そんな記念館に愛地球博のオーストラリア館の展示品、12メートルの巨大カモノハシがオーストラリアつながり、あるいは万博つながりでやって来る(これは3月の話なので現在は公開されているだろう)。

オーストラリア館に入らなかったので実物を見ていないが巨大カモノハシは大変な人気者だったそうだ。このカモノハシによってオーストラリア記念館の寿命が延びたと言っても良いだろう。

展示物に変化も面白みも無く、衰退の一途をたどっていた記念館。取り壊しの恐怖にさらされていたがカモノハシを招聘するにあたり内部を大規模にリニューアルしたそうだ。巨大カモノハシによって生き延びた大阪万博の恐竜なのだった。いつまでも長生きして欲しい。

恐竜の恩人カモノハシ。タイトル名”カモノハシって可愛い??”って疑問詞を二つもつけては失礼か。見れば見るほど可愛いではないか。
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by banpakutantei | 2006-05-03 17:11 | 愛地球博 | Comments(0)

リニモに乗って。

d0065737_1533724.jpgリニモが空いていたからと言って先頭の席に座って嬉しがっている私は”いつまでも少年の様な心を持った”などと言う(割りと好意的な)言葉でくくっては、いけない大人である。

次の駅で乗ってきた子供が先頭の特等席に座っている私を見て残念そうな顔をしても譲ってあげたりしない。

”尾張名古屋は城でもつ”と言うが尾張名古屋はトヨタでもつと言っても決して過言ではない。

愛知の元気の源。その産業の裾野は広い。愛知の全ての道はトヨタに通じると思える程だ。

ご当地ナンバー導入の際”トヨタ”ナンバーが真剣に論議されたそうである。トヨタナンバーを付けた日産車というのも何だか凄い..。手前に見えて来たのはトヨタ博物館。

トヨタ関連の博物館だけでも、このトヨタ博物館他トヨタ産業技術記念館など四つくらいある。産業記念館ではトヨタ館のロボット演奏が行われているようだ。

モリコロパークが開園した時にフジパンロボットが復活するとし、トヨタ館ロボットが博物館に展示されたら同じ路線内の一つで大阪万博の生き残りが、そして駅ひとつ挟んで愛知万博の生き残りが演奏をしている事になり良いこじつけになったのだが...
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by banpakutantei | 2006-05-02 16:47 | 愛地球博 | Comments(2)

愛地球博跡で愛地球博を探す。

d0065737_1183663.jpg会場駅を後にし、藤が丘経由で名古屋駅に向かう。延べ4日、かたくなに万博八草駅経由で往復したので藤が丘迄のリニモに乗ったのは今回が初めて。

「さよなら、愛地球博会場。モリゾー&キッコロ又会う日まで...いくら物好きで暇な僕でも、何も無いこの荒野に来る事はしばらく無いだろう...。

あっ、でもフジパンロボットの確認には来る事はあるかも知れないが...」と得意の感傷に浸る。

と..車窓に見える見覚えあるパビリオン。おぉ...カンボジア館。とその周辺。グローバルコモン..ナンバーシックス。

未だ、残っていたんだ。兵庫に残る大阪万博遺跡、カンボジア館同様、生き延びている。アンコールワットの恩恵か単なる偶然か...何かの縁か...

帰ってから調べてみたら、この第六地区のパビリオンって殆ど入っていなかった。タイ館をスルーした程度。開幕当初、空いていた会場。いつでも入れると次に廻した終盤近く。

「どこでも良いから、ひとつでも多く見たい」と大混雑の会場内の人口がここにも溢れていた。うだる様な暑さは、あたかもこの地区に多く立ち並ぶ東南アジア諸国を旅している錯覚を覚えた。

この人込みは...そうだ良くテレビで映る、そんな国々の市場の雰囲気だった。カンボジア館手前の丸い建物は何だったっけ?この写真は3月。時は早5月..この付近も解体されてしまったかも知れない。
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by banpakutantei | 2006-05-01 02:46 | 愛地球博 | Comments(0)