幻の町並み国府津(こうづ)~見えてたものが消えた時。

d0065737_2333100.jpgついに...と言っても先月の話。国道一号線を車で小田原市街へ向う。いったい何度目の定期観測になるだろう。観察記録は「変化なし」と書いて「無事」と読む。

「変化あり」の記載は大抵の場合は解体そして消滅と言う事。対象の建物の変化に気が付く時は、いつでも・スローモーションの様な思考感覚になる。あ・ぁ・ぁ・ぁ・ぁ とか え・ぇ・っ・っ・っ・っって感じ。更にう・ぅ・ぅ・ぅ・ぅ・ぅって感じでもある。しつこいか。

2007年3月2日。とうとうこの日が来てしまった。石田サイクル解体。これで大川輪業、ヒノデストア、国府津看板建築群の核と言える建物達が相次いで消滅してしまった。本家サイトの更新が滞っているが、各建物のコメント欄に”消滅” やら ”解体”の文字を ”残念ながら”...の五文字と組み合わせ”残念ながら”がどれくらい”残念ながら”なのかを表す”非常に”の二文字を頭に付け加え更新しなければならなくなった。

確かに石田サイクルの状態は先に解体された大川輪業やヒノデストアと比べても良く無かった。以前「うわぁ解体か」って事もあったが、その時は修理だった。外観だけ見ていても解体より崩壊のが先でも不思議では無かった。小田原市国府津(こうづ)は市街から車で15分程度の東に位置する。最寄駅はJR国府津駅。1934年丹那トンネル完成前まで東海道線の重要な役割を担っていた駅でもある。駅から数十メートルの範囲に残る看板建築群はその名残。知らない建物も沢山あったに違いない町並みが想像できる。

気が付いた時は既に前面の壁面は無くなっていた。壊されたのは多分この半日前の事だろう。テッペンの王冠の中にあったkの意味も解らず仕舞い。王冠のカケラを採取する事も出来なかった。他の地域にも少ないながらも看板建築は未だ残っている。それらは殆どが”個”である。国府津に未だ残っている建物も”個”となり、看板建築が”群”として残っていた町並みは幻となった。
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by banpakutantei | 2007-05-14 03:17 | 小田原 | Comments(0)


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