カウントアップ EXPO70パビリオン公開から22週の2。

d0065737_20593298.jpg前々回21週前とフリ...今回22週前。22週進んで22週戻る。人生はワンツーパンチ。3.13行われた EXPO70パビリオン開館記念式典。記念のテープカット。

そこに大阪万博六角形つながりの二人が揃った。写真左隅が堺屋太一さんで右隅がコシノジュンコさん。大阪万博40周年。その記念すべき日に、この場所に両人が揃ってテープカットをしている。

堺屋さんが本名、官僚 池口小太郎時代に開催に尽力した大阪万博。「万博開催は10年間は私がやったと口にするのはやめ一人の役人として黒子に徹しよう」との誓いから40年。

その呪縛も解かれ今では「万博をやったのは私」と公言されている。スピーチでは「万博の話をすると止まらなくなる」とおっしゃていた。

もしも大阪万博が開催されなかったら私の人生も違ったものになっていただろう。私の万博人生は堺屋さんのおかげであるとも言える。そんな意味では堺屋さんは人生の恩人と呼べる。いつか、その止まらない万博の話を聞いてみたいものだ。

堺屋さんが万博開催ともう一つ万博で尽力された事。それがEXPO六角形つながり。前回書いた生活産業館プロデューサー役だった。三田誠広著「堺屋太一の青春 70年大阪万博」によれば生活産業館の実質オーナーは堺屋さんであったと記されている。建築への造詣も深い堺屋さんが、生涯最高の建築物と言っているのが生活産業館のパビリオンとも書かれている。

そして当時20代のコシノさんがデザインしたのがペプシコーラ館・タカラビューティリオンそして生活産業館のユニフォーム。交流の深い堺屋さんとコシノさんは生活産業館つながりでもあった。

2010年3月13日 お二人がテープカットをされた鉄鋼館南側。道路を挟んだ正面に建っていたのが万博六角形つながり生活産業館だった。
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by banpakutantei | 2010-08-15 23:40 | 万国博 | Comments(0)


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