カウントダウンオサカ?

d0065737_1313426.jpg祭日だけど出勤日の「敬老の日」。只でさえ憂鬱な月曜朝。しかも雨。

「行く気しなぁい。」と心が駄々をこねても土日ですっかり心の片隅に追いやられていた本日やらねばならぬ事柄が浮かび上がってくる。

朝トイレにて二紙を読むルーチン。配達用の雨濡れ防止の極薄のビニールをビリビリと破いてみれば日経のロゴ左横にカラーの太陽の塔。

おおぉ。単純に太陽の塔が媒体に出てるだけで嬉しくなる。でなに、なに。


d0065737_13171187.jpg 大阪万博、札幌五輪を再び。と。2025年誘致を目指す。と。仮のテーマは「人類の健康・長寿への挑戦」とある。

うーん。明るい未来を夢見た1970年と結構違う。万博っぽくない。二度目の大阪万博。その時の年齢を考えると、中年では無くもう老人の部類に入っているのか。

大阪万博の映像を見ると広い会場を元気に歩く当時の老人と見える方々が沢山映っている。

2025。私もあんな感じなのか?万博敬老の日には優先入場の対象者なのか?


d0065737_134347.jpg当時我が家で万博一番乗りをした、亡くなってしまったおばあちゃん。きっとあんな感じだったのだろう。

老人の年齢層の幅は広い。平均寿命が延びているのだから、中年、中高年と老人の間の呼称を考えた方が良いと思う。

「人類の健康・長寿への挑戦」。そうか!若者には明るい未来の代わりに「明るい老後」。

大阪万博世代には再び大阪での万博を経験出来る様、健康でがんばろうってメッセージなのか!って理解した。
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# by banpakutantei | 2016-09-25 13:21 | 万国博 | Trackback | Comments(0)

ゴルゴ閉幕のカウントダウンも近い?

d0065737_3105642.jpgもう相当前の事だけど名古屋駅に近づき新幹線が減速を始めた頃、進行方向左に見つけた喫茶店らしき店。その名も”ゴルゴ”。

なに!ゴルゴって。何故にゴルゴ?。いつか行きたいと思いつつ未だ実現していない。

「こち亀」終了のニュースの2日後の日経に掲載されていたリイド社版ゴルゴ13の広告。ゴルゴに学ぶビジネスマンが多い事を物語る。「孫子の兵法」より「ゴルゴの兵法」だろう。


d0065737_3113968.jpg毎朝寄るコンビニの月曜の朝。少年ジャンプが別テーブルに積まれている。一度数えてみたらその時点で30冊以上あった。

ひとつのコンビニでこんなに売れるんだと感心したが「こち亀」終了の報道の翌月曜、同じ時間帯に50冊以上も積まれていた。最終話の掲載号が発売される時、何冊積まれるのか結構気になる。

漫画と劇画の長寿記録を持ち髪型も似ている両主人公。大阪万博の2年も前、1968年から47年も続いているゴルゴ。

d0065737_1238493.jpg「こち亀」は殆ど読んでいないので多くを語る資格は無いけどゴルゴに関しては1975年位から、40年以上も読んでいるので多くを語っても問題無いと思う。

年代を照らし合わせてみると「こち亀」が始まった頃、ゴルゴを読みだした事になる。

少年ジャンプを読んでいたのは「アストロ球団」の頃までだけど秋本さんの初期のペンネームの謝罪文は読んだ記憶がある。

別冊ゴルゴの最新刊。こちらは実に№192。今号「流星雨の彼方」で何度目かの宇宙に飛び立ったゴルゴ。地球上だけでは無いゴルゴの仕事場。

d0065737_313573.jpg予測不能な機器の故障も想定内とし対処するゴルゴ。ビジネス上大いに参考になるこの心構え。流石ゴルゴと言いたくなる。

が!今回「一万キロの狙撃」にてゴルゴ最大のピンチが訪れる。ゴルゴ自身「もう一度 アタックされたら 逃れる術はない」と呟いている。

ゴルゴのピンチは今まで数度あったけど今回のピンチは確実に最大級。ゴルゴにインタビューしたら「オレ自身最大の危機だった」とタバコをくゆらすだろう。

d0065737_3135758.jpgあらゆる可能性を潰されながらもピンチを切り抜け予想外の方法で敵を仕留めたゴルゴ。

”決して諦めない心”。またもやゴルゴから学んだ。しかし...最終コマ。

女性と言えども決して背後に回らせないゴルゴが...一体どうしてしまったのか?これだけの傷を負いながらも看護婦さんと関係を持ってしまったのか?気になる。

たとえ関係を持ってしまっても決して背後には立たせないゴルゴだった筈。どうしたゴルゴ?ゴルゴ最大のピンチ再び。
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# by banpakutantei | 2016-09-11 05:44 | | Trackback | Comments(0)

カウントダウントキョ。

d0065737_11398.jpgリオ五輪閉幕から早一週間。この一週間で見つけた二つのリオ。

一つ目。久しぶりに開いた岡本太郎「壁を破る言葉」から”芸術のあるところ、そこが世界のセンターであり、宇宙の中心なんだ。

それは東京でもいいし、秋田でも北京でもリオデジャネイロでもかまわない”って言葉。

東京 北京 リオ...何と言うこじつけ。今まさにスポーツの中心リオ。


d0065737_1133113.jpg二つ目が何故に今頃。ロンドン五輪閉幕式のテレビ中継画像。あぁ。3週間程前に見つけていたら...。

開幕直前に”いよいよリオ!”って感じで出すべき画像だろう。

”1451日後に使えるかも”って撮っておいたのかも。すっかり忘れていた。
 
映画”日本万国博覧会”のラスト。”にぎやかに開かれ あっけなく終わった万国博。会場は忘れさられたようにひっそりしている 。今度は いつよみがえるのだろう ?その日まで私はまつ 。”


d0065737_221954.jpgパラリンピックが控えているけれど頭の中は石坂浩二さんのナレーションの万国博がリオ・オリンピックに置き換えられている。

”4年後使えるかも知れない”と撮ったリオ閉幕式。あいにく東京まであと何日ってテロップが入ったものに遭遇しなかった。

4年後、この画像の事思い出すかなぁ。覚えていても画像を見つけられず”何処に行ったんだ!折角使おうと思っていたのに!”って始まるのだろうか?


d0065737_2115413.jpgそれとも閉幕後にやっと見つかり”今頃...”って感じになるのかなぁ。

そうだ”2020-8月位に使いたい画像”ってフォルダを作ろう。画像を見ると”あぁ あの日台風が来ていたんだ”って事もいっしょに思い出すだろう。

リオ閉幕式もテレビに映る程の雨が降っていた。小池さんの着物もびしょびしょ。

4年後の大会期間中の台風直撃が今から結構心配。
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# by banpakutantei | 2016-08-29 21:25 | 東京オリンピック | Trackback | Comments(0)

カウントダウン リオ閉幕。

d0065737_16514233.jpgリオ五輪も後半戦。リオと言えばサンバカーニバル、リオと言えば中森明菜のミ・アモーレ、リオと言えばリオ五輪だけど、もう一つリオと言えば岡本太郎デザイン通称”リオちゃん”。

リオのカーニバルを太陽でイメージしたデザインは大阪江坂にあったレストラン「カーニバルプラザ」のシンボルだった。

2007年の閉店時、廃棄寸前の処を無事保護され同年開催された「'07EXPO'70-わたしと万博-」展、会場手前に設置された。


d0065737_1652423.jpgこの時に保護されなければ、いくつもある太郎の幻のデザインのひとつとされていた事だろう。

吹田万博展から来年で10年。リオちゃんのその後を全く気にしていなかったけど現在はレストランがあった場所近く、やはり太郎作品「みつめあう愛」も近い大阪江坂「豊津公園」にあると言う。

東京や札幌更にミュンヘンオリンピックの参加メダルデザインもした岡本太郎。リオ五輪のご苦労様メダルとか参加記念品にリオちゃんがデザインされた物があったら良いなぁ。太郎デザインのリオ五輪記念品。ケッタイなデザインで死蔵されてしまうか?
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# by banpakutantei | 2016-08-20 03:29 | 万国博 | Trackback | Comments(0)

カウントアップリオ五輪 2日目。

d0065737_1433439.jpg1/144太陽の塔の続き。テレビなどで本物じゃなくても太陽の塔が出てくると”おぉぉ”ってなってしまう。

上は麒麟の田村さんのお兄さんが経営する小岩のたこ焼き屋「たこ田信玄」に鎮座する、よくあるタイプ。奥にビリケンさんもあるので、大阪を意識したものか。

下は先日放映された”メレンゲの気持ち”にて紹介されたフットボールアワー後藤さんの自宅に鎮座する1/144の御神体。

d0065737_1424063.jpgその両腕は時々奥さんのアクセサリー掛けに使用されているそうだけど、奥さんから理解されないと言う点が私と共通している。

驚いたのが隣には”未来を拓く塔”のミニチュアが...ミニチュアと言っても倍率は結構大きなもので、なかなか見ない。

本物は1988年”ぎふ中部未来博覧会”のシンボルモニュメントとして製作され今も会場跡の岐阜メモリアルセンターに残る。

d0065737_143837.jpg下に時計が付いたものが時々結構高値でヤフオクに出てくる。

最近も55万円で出ていて、しばらく値付かず状態が続いていたけどいつの間にか消えてしまった。落札されたのだろうか?

ミニチュアの時計と言えば銀座数寄屋橋にある”若い時計台”の時計ではないミニュチュア。

一度だけ現物を見た事があるけど、これは借金してでも欲しい。下にライオンズクラブのマークがあるので1966年に設置者のライオンズクラブが記念に作ったものだろう。


d0065737_16101216.jpg(私は)ヤフオクでも見た事が無いけど出品されたなら相当の高値必至ではないだろうか。それなりの数が作られたと考えられるけど50年近く前の記念品。現存数は少ないだろう。

只、記念品って必ずしも飾られるとは限らない。私も時々戴く事があるけど、大抵一度箱から出してから、戻してそのまんまが多い。

岡本太郎ファンでも無ければ手がニョキニョキ出たケッタイな形をしたこのオブジェを飾る訳が無い。箱に入れられたまま相当良い状態で死蔵されているものが絶対ある筈。時計じゃない”若い時計台”。いつか出た時の為に時計台貯金を始めよう。
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# by banpakutantei | 2016-08-07 17:52 | 万国博 | Trackback | Comments(0)

さらば...ではなく久々の更新。

d0065737_131639.jpg1月末公開でそろそろDVDも発売されてしまう「さらばあぶない刑事」。

映画を見る限り、もうこれで本当に最後って感じ。旧車レパードが疾走する横浜の街も、相当な変貌を遂げている。

数ある横浜が舞台のドラマや映画の中で何故か一番好きなのが柴田恭兵も出ていた「大追跡」。DVDで見ると昭和の横浜が沢山出てくる。

10年ぶりの浅野温子演じるカオルの役職は重要物保管所所長。その部屋には何と1/144の太陽の塔がドンと飾ってあった。


d0065737_133549.jpg1メートル大の販売も噂されているが一般人が入手可能な現時点での最大級の大きさの太陽の塔。

その姿が写った宣材の画像を探してやっと見つけたのが下の写真。矢印の処にわずかに写る腕。DVDが発売されたら全景が写った画像もアップ出来るだろう。

押収した危険ドラッグを保管していた重要物保管所。取り返そうとやって着た中南米マフィアによって襲撃されてしまう。もの凄い量の銃の乱射でめちゃくちゃに破壊されてしまった所長室。

劇中、話の展開よりも、ずっと気になってしまった事…それはあの太陽の塔、どうなってしまったのだろう?って事だった。
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# by banpakutantei | 2016-07-11 09:13 | 万国博 | Trackback | Comments(0)

カウントアップ365日。

d0065737_035037.jpg何故に一年もの空白が...。サボりすぎて気付いてみれば最後にアップしてから365日も経っていた。

万博階段周辺の再開発をUPして行くつもりが、空白期間中に万博テイストを盛り込んだショッピングモールも完成しオープン。大変な盛況ぶりの様子。

大きな変化があった万博階段には未だ立ってはいない。几帳面(嘘)なので書くとしたらやはり続きからなのかなぁ。

今月初めカーナビには桜の満開を示す桜のマークが灯っていた。折角ならば万博マークが良かったなぁ。
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# by banpakutantei | 2016-04-15 01:15 | 万国博 | Trackback | Comments(5)

カウントアップ EXPO70パビリオン公開まる5年から4週間。

d0065737_21536.jpgやっぱり早く書かねば...2月に書き始め3月終盤になってもUP出来ないでいると...12月以来約3ヶ月ぶりに訪れてみれば...状況はかなり変わってしまっていた。

が.取敢えず12月時点の事から書いてみる。 

昨年、久しぶりで訪れた万博記念公園。駅を出るとエキスポランド跡地は水族館等が設置された大型複合施設建設の真っ最中で沢山のクレーンが見えた。

今年の秋、開業予定なのだそうだけど、ここからの眺めはどんな風に変わるのだろう?



d0065737_233881.jpg万博記念館が入っていたディリパは万博では郵便局だった施設。ここも閉鎖されていた。記念館が鉄鋼館に移されて今年で早まる5年。

移設直後の記念館の様子を見に行って以来、この建物に入る事は無かった。

何度か書いたけど、ここに来ると何時も思うのは閉幕後開館した初代万博記念館に来てみたかったなぁって事。

閑散としていたって話は聞いた事があるけど、それはそれで祭りの後の寂しさを体感してみたかった。


d0065737_24367.jpg展示品の多くはEXPO70パビリオンで見る事が出来るけど、今よりも万博の残熱を放っていたに違いない。

工事概要の掲示の処に貼ってあった航空写真を見てみるとエキスポタワー跡地にも現場事務所の様な建物が...。

久しぶりに万博階段を登りタワー跡地”グランドトライアングル”を目指す。実際はペンタゴンの様にも見えるけど。

建設中の工事現場を見るとかなりの規模の大きさになりそうだ。



d0065737_255390.jpgこの階段から撮る太陽の塔の構図にも入って来そうな感じがする。

それよりも当時の雰囲気が未だ残る、この階段自体安泰とは言えなくなってきた。

外周道路にある駐車場からの通路にもなって人の行き来もあるけれど、突如閉鎖なんて事も有り得なくも無い。

途中ディリパの後ろを見てみれば既に解体が始まっていた。また一つ消えていく万博遺跡。


d0065737_265879.jpg万博記念館が移動して、大阪ガスのショールームだけが残っていたこの施設。

大型複合施設と旧万国博郵便局建物解体との関連性は解らない。

エキスポランドが解体され、旧郵便局も解体。その間に残るエキスポタワーがあった場所へと続く階段。その行方が本当に気になる。


d0065737_275229.jpg旧便局の隣に残っている協会ビル。こちらもどうなる事やら。

久しく行っていないけど旧万博電話局は残っているのかなぁ?知らない間に無くなっていたりして。

さて万博階段を登りきりエキスポタワー跡地に着くと写真の通り工事用番場事務所が建っていた。タワー解体時以来の現場事務所出現。


敷地内には開催当時の慰霊碑が残る。流石にこれには手を付けないと思われるが、この周辺の再開発にとってはデリケートな施設だと思う。


d0065737_211169.jpg太陽の塔から直線に位置するこの施設。今でも訪れる遺族の方はいるのだろうか?以前見た時は新しい花が添えられていた。

タワー解体から早12年。あの時解体が回避されたとしても絶えず解体の危機にさらされていた事だろう。

3角形に色が変わった地面グランドトライアングルだけが、その印となっている跡地に観覧車が建設されエキスポタワーの高さを体感出来ると言う話も聞く。



d0065737_2115394.jpg太陽の塔に向かって延びる道。今も残る当時の面影。

階段のコンクリートは結構ボロボロだし、旧エキスポランド側とフェンスで分断されてしまっているけど「日本の階段100選」なるものが選定されたとしたら、必ずや上位にランクされるべき万博階段。

階段脇で各国の国旗をたなびかせていた今も残るポール。ポールに旗が掲げられる事は二度と無いだろう。

ポールはまるで各国パビリオンの卒塔婆だ。



d0065737_2125216.jpg再開発されて行くこのエリア。階段は生き残る事が出来るのだろうか?

当時の落書きなど残っていないかなぁとコンクリの壁を改めて見てみる。

1970とかS45の文字だけでも発見出来たら結構感激しそうだったけど判別出来るものは何も無かった。

残っていたら当時の落書きですら残しておきたい万博階段の運命は?
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# by banpakutantei | 2015-04-13 01:59 | 万国博 | Trackback | Comments(0)

カウントダウン EXPO70パビリオン公開からまる5年。

d0065737_19253487.jpg国立近現代建築資料館にて。”建築のこころ”と題された菊竹清訓展。

日本建築界の巨匠で万博ファンにとっては菊竹さん=エキスポタワー。菊竹さん=アクアポリス。

何故か寿命の短い物件が多い菊竹建築。代表作の寿命とその形は、まるでパビリオンの様だ。

”建築のこころ”は1972年にNHK「女性手帳」と言う番組で特集された菊竹さんの建築(論)に焦点を当てた全5回各回40分の番組を書籍化したものと同一タイトルでもある。



d0065737_1926142.jpg偶然にも菊竹さんのサイン入りの書籍を持っていた。サインの宛名は残念ながら私では無い。

サイン入りの著書を購入したのが事実で、ついでにこの本もサラッと流し読みした程度でベタ読みしていない。

同展の図録の裏側には著書の前書きが印刷されていた。著書のあとがきにはテレビ放映時、浅間山荘事件が起こり放映時間に変更があった事も記されていた。

展示は期待していたエキスポタワー、アクアポリス関連は殆ど無かったのが残念だったけど菊竹建築はこれらだけでは無いので仕方が無い処。


d0065737_19263216.jpg撮影禁止だった今回の展示で唯一撮影出来たのが入口に設置された菊竹事務所の原寸大の図面棚のパネル。

事務所には15.000枚に及ぶ図面。20.000点を越える写真、4.000点近いスケッチ、50点の模型が良好な状態で整理され保存されていると言う。

図面棚を凝視してみる。見つけたいのはカタカナ7文字と6文字のあの構造物。エキスポタワーとアクアポリス。

勿論都城市民会館やホテル東光園や茅ヶ崎パシフィックホテルが見つかっても嬉しい。


d0065737_1927415.jpg「あった。あった。」先ずアクアポリスが6枡見つかった。

次にエキスポタワー。なんと15枡以上もある。凄い凄い四本足プランの図面もある。入札図もある。万国博バザールも菊竹さんが関わっていたのも解った。「凄い。凄い。」

「あった。あった。凄い。凄い。」と興奮するも、これは資料庫のパネル。中身がある訳でもない。

エキスポタワー、アクアポリス。この文字を見るだけでも嬉しい。写真に写る10センチ角位の小さな扉の奥にある図面資料を想像出来るだけでもワクワクした。


d0065737_19272749.jpg手でパネルをなぞってみる。パネルなので当然ノッペリしている。どこか一つの枡でも意表を突いて本物の扉が組み込まれていないかなぁなんて考えてみる。

手の平をあててみる。手の平から扉の奥に眠る資料データを抜き取り、データ保存出来ないかなぁ。

自身がUSBケーブルやUSBメモリーになった感じを想像してみる。

図録には文化庁国立近現代建築資料館では菊竹さんの資料をアーカイブ化していくと書かれていた。



d0065737_19274754.jpgいつの日かこれら筒状に丸められた資料がゴロゴロと広げられ公開される事を期待している。

棚の上には”巨匠顔写真”と書かれた包みも見える。コルヒとカーンの文字があるけどコルビュ. ジェとルイス・カーンの事なのだろうか?

てっきり巨匠菊竹さんの写真かと思った。いや混ざっているかも知れない。

アクアポリス写真と言うのも見える。もの凄く見てみたい。

d0065737_14525293.jpg改めて書籍「建築のこころ」を読んでみる。その巻末に書かれた作品群の中に見つけた懐かしい名前。

1968年「志澤デパート」。これは..地元小田原のデパート。小田原にも菊竹建築があったなんて...。

開店の日に親に連れられて行ったのを今でも憶えている。凄い賑わいだった。

1階には商品が入った透明なゴンドラが行き来していた。子供ながらに何か凄いなぁって思った。小田原にしては少し高級感のあるデパートだった。


d0065737_1342680.jpg巨人V9時代には森や黒江、柴田が来てサイン会をやったり切手集めが流行っていた時には切手祭りなどもやっていて平岩道夫サイン会もあった。

最上階には当然お好み大食堂があり屋上には遊園地があった。万博の時代とだぶる小学生の頃はとにかく賑やかだった。万博絡みの催しもっていたりして。

学生の頃、久しぶりに買い物に行くと、開店の時に凄いなぁと思った透明のゴンドラは撤去されていた。経営母体も変わっていた。


d0065737_23112.jpg郊外にショッピングモールが出来ると小田原駅前全体が一気に寂れ志澤は閉店し後に解体された。

菊竹展に行く時何気に撮った不忍池。矢印付近に建っていた菊竹さんのソフィテル東京。

菊竹展はソフィテルの奥付近で開催された。これも短命だったけど今も残っていたら、あのフォルムの違和感は感じなくなっていたのだろうか?
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# by banpakutantei | 2015-02-02 01:59 | 万国博 | Trackback | Comments(0)

2015。今年もよろしく。

d0065737_217368.jpg閉館から丁度一年目のオーストラリア記念館。既にその姿は完全に消えていた。

これまで、記念館の向こうに頭を出していた四日市コンビナートの煙突が全部見える。

タクシーから降車後数分で降出した豪雨でずぶ濡れとなった。あと数分遅ければ途中のコンビニで傘を購入したのに。



d0065737_217486.jpg逃げ込んだ屋根下で雨をしのぐが(左写真の奥にある緑色の屋根の建物)全く身動きが取れない。

履いてきたベージュのジーンズは洗濯直後様な茶色になっていた。しかし...冬の雨。体温で乾いていくには相当時間がかかりそうだ。

頭の中にリフレインしていたのは当然、井上陽水の「傘がない」だったけど傘があったとしても、けっこう濡れてしまいそうな雨。空を見れば雲の流れが速い。「止んでくれ!」祈りながら待つこと小一時間。

止んだ訳でも無いが少し泣き疲れた感じの時を見計らい跡地に立つ。360度全周全くのガランとした空間。


d0065737_2182996.jpg写真を撮影していても空気を撮っているかの感触しかない。地面を見ても完全に掘り起こされ整地され残骸らしき物も見当たらないし靴もグチョグチョ。

...と又数分で雨が降出した。もうすっかり何も無くなってしまった跡地に留まる必要も無いけど取敢えず又雨宿りせねばならない。嗚呼...こんな場所まで来てこんな豪雨。

もっと近い場所は無いかと先程とは反対の方向に向かう。数10メートル先に小さな休憩所を見つけると同時に見覚えのある物体が視線に入って来た。

d0065737_2192799.jpg「えっ?..まさか?」そこには記念館敷地入口にあった定礎が移動され設置されていた。

何も残っていないと確認した跡地。しかし、さりげなくひっそりとその印が残されていた。

「日本万国博覧会オーストラリア記念館」と刻まれた定礎。竣工当時、此処が再びの更地になっている姿を想像した人はいなかっただろう。


d0065737_2195710.jpg本体そのものでは無いがこれも記念館の一部。左が元定礎があった場所。

残そうと思えば残せたものが何と残っていた。唯一残されていた定礎は言うなれば記念館の墓石そのものだ。


これとて永久にこのままでいれる保障は無いけど存在する限り此処がオーストラリア記念館の跡地であった事は伝えられて行くだろう。


d0065737_2202928.jpg折角来たのに降りだした豪雨。しかも傘無し。只...もし雨が降らなかったら....傘があったなら.....残された定礎を見逃していた可能性はかなり高い。

普通に跡地に立ち、普通に撮影し、普通に感傷に浸り、記念館入口付近だった場所でタクシーに乗り数10メートルの範囲に残っていた定礎に気付かずブログには「何も残っていなかった。」と書いただろう。 



d0065737_352641.jpgその後、駅に着く頃には何故か完璧に雨は止んだ。何故にあの時間にあんなに降った。

豪雨の豪は豪州=オーストラリアの豪。豪雨はつまりオーストラリア館の雨と捉えた。

前回、すさまじい涙雨と解釈した雨が残された記念館の定礎に導いてくれたと解釈した。

PSオーストラリア記念館の資料入手したので本編でオーストラリア館PART3...いつか作ります。取敢えず随分前のだけど本編PART1~2はこちら。 
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# by banpakutantei | 2015-01-04 03:37 | 万国博 | Trackback | Comments(0)