万博本を見ていたらソ連館の前にしあわせの村にあったものに似たものを見つけた。だからおじさんの言った「万博の時のものかどうか解らんが」と言うのはあながち間違いと言う訳ではないかも知れない。万博会場内には沢山の金属の彫刻があった。万博記念公園にもその一部は今でも残っている。移築されたものも幾つかある。パビリオンは消えても彫刻は残っている。 これも誰の作品か何という題名か解らない。単なる棒なのかも知れないソ連館の前にはソ連邦と記してある。ソ連邦の前にある棒なのでソ連棒と言う名を付けてみた。 ソ連棒の前では子供が遊んでいる。着物の女性が座ってお弁当を食べている。万博本を見ていると着物姿の中高年の女性が沢山写っている。M・T・S・H、何かに生年月日を記入する欄に○を付けるとしたらTあたりの方が多いのかも知れない。 「お出かけには着物。」この動き難い服装も昔の人にとってはスタンダード。今では殆ど見かけないこの光景も大阪万博がいかに昔の事だったのを物語る。開幕一ヵ月後、我家の先陣を切って万博見物に出掛けた今は亡き婆さんも着物で行った可能性が高い。 名も無き人の名も無き作品。名のある人であっても多分私の知らない人だろう。もしかして単なるオブジェであって彫刻でも無いのかも知れない。元々、現代彫刻と言うものもサッパリ解らない。材料を彫って刻むものが彫刻なのだと思っていたが、この様なものも彫刻と言うのだそうだ。なるほど近くにある箱根彫刻の森にも、この様なものが沢山ある。光の彫刻って言うのも良く聞くし。 おじさんは「他にも彫刻が幾つか並んでいる通りがある。(あんたが探している物があるのは)そこかも知れん。」とも言っていた。初夏。いきなり暑くなるので体感的には真夏。万博記念公園よりも狭いけど広大な敷地を「はぁはぁ」しながら歩く。全高21メートルでも20メートルでも良い塔は未だ視界に入ってこない。 探し物は何ですか?見つけ難い物ですか?夢の中へ夢の中へ行って見たいと思いませんかぁあうふふ。さぁぁぁ。探し物は簡単に見つかる筈だった。それが...。下調べもろくにせずにやって来たこの広い村。大体、村内にある、どのバス停で降りたら良いのやら? イメージとしては村に入るとすぐに目の前に現れて来るのかと思っていたそれは大阪万博 ヨーロッパ共同体、EC館のステンレスオブジェ。高さ約21メートルの万博遺跡を見つける事は簡単な事だと思っていた。 とりあえず終点ひとつ前で降りてみた。そこにあったものが前回の写真の看板。そこにはきっとあのオブジェのイラストが描かれていると思っていた。しかし...目的のその物体の絵が何処にも描かれていない。そんな...。この公園、いや村にとってあれはそんな存在なんだな。と感じたが良くある事でもある。 周囲をぐるっと見廻してみる。無い。見覚えのある、あの形が視界に入ってこない。近くにいた警備員の方に訊いてみた。「あのぉ、高さ20メートル位、正確には21メートル位。まぁ1メートル位の差はどうだって良いのですが。背の高いステンレスの塔がこの公園、いや村。公園でも村でも良いのですが..何処かに建っていないですか?おおさか ばんぱくの時の物なんですが...。」 「いやぁ、解らんね。おおさかばんぱくの時のねぇ。」半分予想された返事だった。それよりも...EC館のオブジェが此処にあるのか?あれはどこで知った情報だっただろう。それすら忘れてしまっている。聞いたのは結構前の話だ。こんな神戸の山中にやって来て目的のものが無いなんて事は? 「あそこの建物に事務室みたいなものがあるので訊いてみたら。」と教えられた事務室みたいな部屋にいた男性に訊いてみた。「大阪万博のかどうか解らんが、あれの事かなぁ。確かにステンレスのもんが建っとる。」教えられた場所に行ってみる。「.......。」 「違う。違うよぉ。確かにステンレスのオブジェだけど。20メートル位の高さで、正確には21メートル位。まぁ1メートル位の差はどうだって良いんですが...そんなものが建って無いですか?って訊いたじゃないですか。これは、どう見ても3メートル位じゃないですか。」 教えてくれた場所には写真のオブジェが建っていた。もしかして地中には17メートル位埋まっているのかも知れない。正確には18メートル位。まぁ1メートル位の差はどうだって良いんですが。 関西幸せ探しは”そして神戸”。幸福(しあわせ)神社から"しあわせの村"へ。幸せ探しは、しつこく続く。三宮駅からバスで約30分。バスは神戸の山を奥へ奥へと登る。今回も「いやぁ、また随分と遠くに来てしまったものだ。」を実感する。しあわせの村は、神戸市が1989年に開村した福祉公園で園内には、各種スポーツ競技場・キャンプ場・宿泊施設、リハビリテーション病院や高齢者・障害者を対象とした福祉サービス施設がある。バーベキューサイトや温泉などもあり、市民が余暇を過ごす場となっている。過去には国体の会場ともなったそうだ。 この村の広さを、あまり調べずに訪れたが何しろ広い。バス停が数箇所もある場所だった。広さは205ヘクタールだそうだ。大阪万博記念公園の広さは総敷地面積は264ヘクタールで、甲子園球場の約65倍の広さに相当するそうだ。 甲子園球場何個分とか東京ドーム何個分と言った表現は良く使われるが、甲子園球場何個分の方が多く見かけるのは甲子園が広い球場の象徴だからなのだろう。只、実際の処 65個分と60個分 更に40個分や35個分の広さの違いって実感出来ない。大体、甲子園球場に行った事が無いから余計実感出来ない。私の中での甲子園はドカベンの中にある。 でも20個分以上になると、何個分でもいっしょの感覚になるのでは無いか。ちなみにこの村は甲子園球場の約51倍と言う事になる。 しかし...。万博記念公園よりは狭い。良かった。何が良かったかは解らないが良かった。大体、甲子園の何倍と言うよりも万博記念公園の何分のいくつ、万博公園と比較してどうなのか?が感じを掴む基準となっている。凄く広いけど万博記念公園よりも広くない この村に何があるのか? 伊丹十三の映画「お葬式」に出てきた冠婚葬祭の先生の様な方に案内され施設に入る。ここがこの宗派の総本山なのだそうだ。”その一足”を踏み出したものの「ここから出る事が出来るのか?」そんな不安がよぎる。私が今何処に来ているのかを知る者はいない。携帯にはGPS機能も付いていない。しかし...廊下天井に施された大きな壁画、万葉集をモチーフとした万葉欄間、白と金色のみを色彩に用いた七角堂内部や装飾品の絢爛豪華さと言ったら...。資金力豊富な宗教団体とは、この様な事を言うのか。大を超越した大きさの大広間など各部屋を順繰りに案内してもらう。内部は迷子になりそうな位に広い。 さていよいよ目当てのブリティシュコロンビア館の木で出来た廊下の入口に着く。「ここがモミの木廊下と呼んでいる廊下です。」ブリティシュコロンビア館の木と言っても元から単なる木であるが故、加工されてしまえば更に単なる木である。入口に飾られた万博会場での姿を写す写真と絵がその経歴を物語っているのみ。 「”悩み苦しみのすべてが揉み取られてゆく廊下”それがモミの木廊下です。」なるほど!それ故の”モミの木廊下”。悩みや苦しみを揉みほぐしてくれる、いやモミ取ってくれる。ほぐすのでは無くモミ取っちゃってくれる。これぞ”幸せの廊下”ではないか。 廊下の先には金色の霊球が祭ってあった。入るのを許されたのは、廊下の入口まで。モミの木廊下の先に何があるのか、どうなっているのかは解らない。残念ながらモミの木廊下を歩く事は出来ず見るだけに留まった。悩みや苦しみは取ってもらえなかった。只この廊下を見ただけで少しほぐされた気にはなった。 伽藍がすべて完成したのは西暦2000年。大阪万博から30年。この木が何故、この場所にあり、廊下となったのか?解らないそうだ。只 この木が長い間この敷地内に転がっていた事は確かだそうだ。私の推測では信者の方から寄進された木ではないかと思う。 最初から廊下にする為だったのか、具体的にどこに使用するかは決まっていなかったのか?。それとも旧伽藍というのがあって既に廊下となっていたのか?女性の言う転がっていたは材木のままではなく、再利用する為に残しておいた木を意味するのか?もし30年寝かせておいたならば、まるで大阪万博30周年に合わせてくれたみたいなものだ。 「又機会があればお越しになって下さい。」。帰り際、小冊子を手渡しながら女性は言った。どうしてもモミの木廊下を渡りたいならば、悩み苦しみのすべてを揉み取って欲しければ、更に廊下の木の由来を深く調べたいならば...入信するしかない訳だ。 内部の写真撮影は不可の為、その絢爛豪華な姿を拙い文章でお伝えするのは困難だったが最近になりこの寺院のサイトが出来た。その中の伽藍ギャラリーに入って行くと樅(モミ)の木廊下を見る事が出来る。その両端に飾られたパネルも注目して欲しい。 ギャラリーには樅の木廊方面としてあるのでモミの木廊下の向こうには樅の木廊と言う場所があるのだろう。入口の装飾も他とは違い更に豪華になっている。きっと特別な場所に違いない。そこへ導く廊下に用いられた万博遺産。此処にもモミの木は残っていた。サイト内には”幸せ上手のエチケット”なるコーナーもある。これも”関西幸せ探しの旅”の幸せつながり。 ブリティシュコロンビア館の木で作られた廊下のある寺院のサイトはこちら。 ”いのちの塔”展望室に登ってみる。予想通り誰もいない展望室からは、あの寺も見える。そうあの塔こそ”しあわせの塔”呼べやしないか?。塩漬け3年。3年前のGW。「信者の方では...無いですよ。ね。」あっさりと見破られていた。「信者の方では...無いですよ。ね。」には「信者で無い方が此処に何の御用でしょうか?」の意味が含まれていた。 いや 信者の方になりすまし忍び込もうとした訳では無い。「カクカクシカジカ」と入口で説明するつもりだった。その前年、果たせなかった事への再チャレンジ。 この寺にあると言われる 大阪万博 ブリティシュコロンビア館の木で造られた廊下を見せて頂く事を目的に再びやって来たのだが...何故にあっさりと私が信者では無い者、この敷地内における異分子と解ってしまったのだろう。 応対して下さった方は大阪万博以降に生まれた感じである。彼は奥の院にいる誰かと電話で話しをしていた。「ブ ブりとブリ何とかコロンビアの」「大阪万博の木がどうじゃら、こうじゃらと言って尋ねて来た変な奴が入口にいるが、どうしたら良いか」 「去年も来たと言っている。」「神奈川の小田原から、わざわざやって来たと言っている。」「”わざわざ”と”はるばる”をやたら強調している。」「大体、此処は大阪万博では無くて花博だろうが」「小田原は神奈川じゃのうて静岡だろうが」「大阪万博と此処が何か関係あるのか?」「見せてくれないと又来るぞと言っている。」 「変な奴ではあるが危険は無さそうだ。」 私がカクカクシカジカ と説明した事を カクカクシカジカと伝えてくれた。「お入り下さい。只今、案内の者が参ります。」門戸は開かれた。 やって来たのは花博会場跡地。EXPO90花博には行かなかったが、この塔を近くで見るのは3回目。殆ど思い入れの無い花博会場跡地にやって来たのは右後方に写る”いのちの塔”が来年あたりに登れなくなってしまう。と言った理由からだ。無くなってしまったり入れなくなってしまうと言ったニュースが出ると、とたんに”ゾロゾロと”或いは”ワサワサと”、それまで閑古鳥が鳴いていた場所に人々がやって来る。閑古鳥が鳴いていた場所に名残を惜しむ人々の列。 そんな事ならば、もっと普段から..と言う声も聞こえてくるが私もそんな”ゾロゾロ ワサワサ”組の一人でもある。今回、ゾロゾロワサワサまでには未だしばらくあるらしく、閑散と言うには多く、混雑と言うには少ない人出の花博公園だった。 この花博会場跡地と幸せが、どうつながるのかと言うと単に、この何故か宗教色を感じさせるロウソクの様な”いのちの塔”の事を”しあわせの塔”と言う名の塔と勘違いしていたからに他ならない。ただそれだけ。 そう言えば以前 この塔を写した写真を載せたブログ。花博会場跡近くに大阪万博を探す。と題したブログ。”さて運命はいかに?一度では書ききれない。”とこのブログは締めていた。一度では書ききれないと書きつつ一度も書いていなかった。 大体何時書いたんだと探してみてもなかなか見つからない。グーグルで検索してみる。”小田原万博探偵 花博”... 一発ヒット。時は06年7月。うわっ。3年以上も前か。またいつか、また今度と早3年。”塩漬け3年。”そんな事が沢山ある。3年なんて未だ良い方かも知れない。 神社の場所を訊いたAさんの話によれば、そこは一般にイメージする神社とは少し違っていて普通の建物の上に鳥居がのっている様な場所と言っていた。確かにそこは普通の住宅地の中の建物の上に鳥居が建っていた。屋根も神社の様式をしている。その見えてきた姿は”迷宮”やら”魔宮”の雰囲気を漂わせていた。またもや...。これまでも何度も経験している”あの”感じ。どうして...? このような磁力を放つ場所に吸い寄せられてしまうのだろう。N極からS極へ。プラスに引き寄せられるマイナス。 ここにも万博磁場があった。這い上がろうとしてもズルズルと、潜っていってしまう蟻地獄。万博遺跡蟻地獄。地獄と言う名の天国。 ”この道を行けば どうなるものか?” 猪木の”道”を実践しやって来たこの神社。”そのひと足が道となり そのひと足が道となる。” もはや この詩は猪木の”道”ではなく”大阪万博の道”。すなわち”万博道”となる。 ”迷わず行けよ 行けばわかるさ。” たどり着いた幸福神社。”幸せの万博道”。そもそもこの神社に何があったと言うのだ?駅から徒歩10分程度の僅かな距離を、こんなに引っ張るにからには それなりの物がある筈なんだろう。壮大なドラマがあったのだろう。 引っ張り続けて二ヶ月。いや引っ張った訳では無く単に間延びしただけ。ちゃんと更新すれば季節も秋にはならなかっただろう。これ以上引っ張ると次に進めないので こちらにまとめました。そこには、どんな”幸せ”が、あったのだろう? (殆どいないと思われるが)期待していた方には何と言って良いのやら...。そして関西幸せ探してはPART2へと。 先週放映されたNHK熱中時間スペシャル。エキスポCAFEに集う万博熱中人の方々の顔には「幸せ」があふれていた。”大阪万博開催中”のエキスポ”幸せ”CAFE。「この日皆の注目を集めたものは」と映し出されたのは 「あっ!あの漫画だ。」長年気になっていた万博会場が出てくる名前も忘れてしまった漫画。 夜の万博会場に潜んだ主人公。閉園時間に茂みに隠れて翌日も万博会場を見学しようとする彼は途中で鬼?やら原始人?やらと遭遇し最後はソ連館?のてっぺんに吊るされてしまう。と言った内容だったと思う。 サンデー、マガジン、キング。多くの万博情報を得ていた少年誌。その全部を買ってもらっていた筈は無く、立ち読みしたものも多かったに違いない。 万博が出ている号を大人になり当時の定価の何倍もの値段で、買った。それらの中にあの幻の漫画は出てこなかった。きっと未だ手に入れていない号に出ているに違いないと思っていた。 映し出された表紙に注視して見れば「ぼくらマガジン!」。ぼくらマガジンだったか。出てこなかった訳だ。前回、”夏のタイガー祭り”を書いた際 ぼくらマガジンを話題にしたばかりだった。月刊ぼくら~ぼくらマガジンはタイガーマスク目的で唯一欠かさず買ってもらっていた。そんなぼくらマガジンにあの漫画は出ていたのだ。 判明した漫画のタイトルは「パビリオン地獄」。凄い。頭に”幻の”を付ければ、地獄の前に”蟻”を付ければ..現在の私の状態と同じではないか。この漫画の何が印象に残っているのかと言えば ”夜の万博会場に潜む”と言う事。 夜の万博会場に潜り込み、歩き廻ってみたい。沢山のパビリオンを見て廻りたい。そんな当時の空想を絵にしたのが、あの漫画の冒頭のシーンだった。 エキスポ70ラビリンス。現在も 彷徨う迷宮の万博会場。「パビリオン地獄」は地獄と言う名の幸せ。幸福神社まであと少し。 で 関西幸せ探しの旅に出掛けたまま行方不明になっていた訳ではありませんが まぁいつもの通りさぼっていたもので未だ関西で幸せを探している途中。幸福神社へは未だたどり着けていません。 で夏休み。実家でタイガーマスクのコミックを見つけ何十年ぶりに全14巻読み返してみました。2年程前”勝手に夏のブルースリー祭り”をしましたが今年は”勝手にタイガーマスク祭り”。祭りと言ってもコミックを読み返しただけですが。面白かったです。思い出しました。 タイガーマスクは ぼくらって雑誌からぼくらマガジンに連載され夢中で読んでいた。大人になっても”ウルトラマンたち”が好き、怪獣の名前がいっぱい言える、ゴジラが好き、ライダー最高って人達は沢山いる。確かにリアルタイムである程度の年代まで沢山見てきた。しかし今...”良く見ていた。”と言う以上の思い入れは無い。何故なんだ?どちらかと言えば凝り性の部類なのに...と考えてみた。 あの頃買えなかったものたちを今、沢山買ってしまっていそうなタイプでもある。部屋にフィギュアなどが整然と飾ってありそうな感じでもある。嫁さんに「そんなものを沢山持っているなんて人に言えない」と言われそうでもあるけど飾ってあるフィギュアは太陽の塔などだけである。 何故なんだ?よりも”それが普通ではないか。”と言われてしまいそうでもあるが何故なんだ?と、しばし瞑想してみる。そうか!と なるほど!と気がついた。プロレスだ。着ぐるみの怪獣たちより生身のレスラーに夢中になっていたんだ。海の向こうからやって来る怪しいレスラーたちにゾクゾクしていたんだ。 初めて見たプロレス中継では囚人服姿のザ・コンビクトが暴れていた。のちのグレートカブキとなる高千穂が血だるまにされていた。当時は白黒で血も黒く映っていた。黒い魔神、アラビアの怪人、鉄の爪、生傷男等々。当時のレスラーのニックネームとリングネームをスラスラ言えるのは...名前と顔が一致するのは...怪獣や怪人の名前をスラスラ言えるのと全く同じ事なのではないか。 「そんな野蛮なものばかり見てないで勉強しなさい」とか「そんな”インチキ”見てるとバカが余計バカになる」と言われたものだ。近所の友達の家で”懐かしの力道山”(当時でも)の試合を放送していた時、あの天下分け目の一戦のカラクリを彼のお父さんは親切に詳しく説明してくれた。「プロレスって、そんなものなんだよ」○○君。って。それでも...プロレスから離れなかった。 読み返したタイガーマスクにはゾクゾク感があった。あのゾクゾク感こそ我がプロレスの原点だ。好きだったレスラーは”人間台風” ”モルモンの殺人鬼”と呼ばれたドンレオジョナサン。ジョナサンのサンにアグネスチャンのチャンに通じる親しみを覚えた。 ドンレオジョナサンさん。子供ながらもナチュラルな強さを感じた。確か漫画の中でタイガーマスクもハイジャックブリーカーでギブアップした程強かった記憶がある。只、今回読み返してみると、そんなシーンは無かった。記憶違いか? 夏のタイガー祭り。狭い小田原万博資料室で紙物を色々と整理していたらプロレスの紙物が出てきたので前回 猪木の事を書いた絡みで ”闘いの宝物殿~アントニオ猪木偏”と言うのを作ってみました。 幸福神社と書いて”しあわせ神社”と読む。赤い↑が幸福へ導いてくれそうな気がする。道に迷った時...一口に道に迷ったと言っても、例えば人生の岐路に迷った時から単純に道路が解らなくなった時まで様々だ。そんな様々な道に迷った時に浮かんでくるのはアントニオ猪木によって広められた”道”と言う詩である。 一休宗純の言葉(又は清沢哲夫の詩)として引退セレモニーで詠んだ”道”。猪木信者であるならば誰でもスラスラと全文を唱える事が出来る猪木座右の銘。信者にとって猪木イズム継承の詩。経典と言っても良いだろう。 ”この道を行けばどうなるものか。危ぶむなかれ危ぶめば道はなし。踏み出せばその一足(ひとあし)が道となり、その一足が道となる。迷わず行けよ 行けばわかるさ” ”迷わず行けよ 行けば分かるさ”と口ずさんでも多くの電柱に、この案内が付いているので迷う事はないが幸福神社と言う名の未知なる空間に向う我は、この詩によって”その一足(ひとあし)”を踏み出していた。我は今幸福神社に向っているが浅草花やしきには以前 猪木闘魂神社と言うものもあった。 教祖・猪木に猪木信者。「猪木を信じよ」は週刊ファイトの故井上義啓氏の著書である。”迷わず行けよ 行けばわかるさ”と”その一足を道にして”やっちまった...。”って経験は何度かある。 ”行ってわかった......。” その辺りは、この詩を広めた”教祖”と重なる部分でもある。しかし”人は歩みを止め挑戦を諦めた時 年老いていく”(この詩の前説)ものなのである。 あの日ローマコロシアムの彼方に消えた燃える闘魂。あれから早幾年月。今日のプロレスと言うジャンルの衰退をあの時誰が想像しただろう。思い返せば、あの日プロレスは終わっていたのか? 衆議院も解散し、いよいよ選挙。出馬予定者の肩書きを見てみれば人様々である。参議院議員に至っては、もっと様々である。元や前○○大臣、議員に並んで、元議員秘書、アナウンサー、会社役員、弁護士、タレント、元オリンピック選手、元プロ野球選手、元Jリーガー、元力士などなど。そして...プロレスラー。 タレント議員は良く使われる単語だが元秘書議員とかアナウンサー議員、会社役員議員やオリンピック選手議員とは、あまり聞いた事がない。タレントにだけに許された特別な呼称である。 猪木がレスラー初の議員となった選挙。国会に卍固め。消費税に延髄切り。あの年、大量の猪木ファンの票がスポーツ平和党に行った筈だ。 プロレスラーと言う肩書きの下に今回出馬する馳浩氏であれば第五代IWGPジュニアヘビー級王者 得意技ノーザンライトスープレックス。元議員 大仁田氏であれば元NWA世界ジュニアヘビー級王者 電流爆破デスマッチ特許申請。現職 神取忍氏であればミスター・女子プロレスなどと付く事は無い。 一般の方にはピンと来ない経歴だが、ピンと来ない経歴は他の立候補予定者にも色々付いている。 様々な経歴と資質そして能力。政治家になろうとするレスラーの資質とは何なんだろう?厳しい技を受けきる打たれ強さなのか?”相手の傷み”を知る互いの信頼感なのか?暴露本から伝わってくるプロレス界のドロドロさ加減と政界は似ている気がする。そんなドロドロした世界で生きてきた経験値なのだろうか? 経典 ”道” アントニオ猪木さん。
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